散歩者goo 

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私の日常が別世界に変わった日々。2

2024年10月20日 23時12分40秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
予想通り、5分間待っても救急車は来なかった。今問題になっている救急車の安易な使用による混雑の影響なのだろう。それからしばらくして救急車が来た。車いすを救急車のそばに持って行った。その時、車いすの周囲にいて、私をサポートしていただいたスポーツセンター関係者にお礼を言った。
私は、車いすからストレッチャーに乗り替えてから、そのまま救急車の社内に入れられ、後ろの扉が閉められた。
救急車は、長い時間停止したままだった。その間、先ず救急隊員から、詳しいそれまでのいきさつと病状の説明を求められ、それに答えた。左側の大臀部からハムストリングにかけての強烈な経験したことのない足の痺れと力が入らない状況は、全く改善しておらずいなかった。痛みはなく、左足ふくらはぎの下肢や足首には麻痺はなく、右足は、全く異変はなかった。

救急隊員は、救急車停止期間中に市内の多くの救急病院とやり取りしているようだった。「法円坂もダメだった」と、がっかりした会話が聞こえた。法円坂に病院があったのかなと思った。その後もしばらくいろんな病院とやり取りしているようだが、話の内容は聞こえてこないので、車内で不安な時間だけが過ぎた。やっと、国立医療センターが、外来診療だけなら診察すると言っているが、入院できず帰りは自分で帰宅することになるが、どうかと聞かれた。私には選択の余地はなく、「それで結構です」と返事した。診察を受けた後は、タクシーで自宅に戻るしかないと思った。
 救急車は動き出すと、すぐに止まった。多分中央大通りを法円坂方向に向かって走り出したのだろうが、「5・10日」と夕方の渋滞に巻き込まれていたようだ。かなり長い時間がたって、やっと国立大阪医療センターの救命救急室に入り、ストレッチャーのまま診察室に入り、病院のストレッチャーに移し替えられた。そこで、しばらく救急隊員から病院に引継ぎが行われ、救急車は帰った。
 すぐに、担当の看護師により症状を聞かれ検温や血圧測定が行われ、診察後は、帰宅してもらいますというようなことを念押しされたような記憶がある。(思い込みかもしれないが)それから診察を受けるまで長い時間待った。
 その間、帰りはどうしようかと考えていた。外の景色は、全くわからず、法円坂のどの辺にいるのもわからなかった。ただ昔の谷町4丁目にある国立大阪病院らしいことは、分かったので、帰りは地下鉄でジムまで帰り、そこから自転車で家に戻ろうと思っていた。
 病院のストレッチャーに乗せられている間も、ジムで運動している衣服のままだった。(半袖のスポーツシャツに短パン姿。)待っている間に、靴だけは運動靴をリュックに収め、家からジムに行くときの外出用の靴に履き替えていた。
 左足の状態に、回復の兆しはなかった。
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