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日本人のルーツに関する「歴史言語学、考古学、遺伝学の学際的研究成果」の概要を読んで

2021年11月29日 16時59分00秒 | 考古学・古代史・歴史・文化人類学
日本人のルーツに関する学術論文のプレスリリースが掲載されていたので紹介します。
フェイスブック「日本の研究.com」より
【注目プレスリリース】トランスユーラシア言語は農耕と共に新石器時代に拡散した ー歴史言語学、考古学、遺伝学の学際的研究成果― / 九州大学
https://research-er.jp/articles/view/105301

以下はこの情報に関する私の感想です。
「沖縄人が縄文人の系統を引くと結論する埴原和郎の「二重構造仮説」と矛盾する。」という結果は面白い。
沖縄と北海道の人に日本人・縄文人のルーツがあると言った説が、見直されるのだろうか。
それと関連して「欲知島以外の二箇所の韓国新石器時代の遺跡のサンプルも、10 ―20% の縄文系 DNA を持っていたことが解明された。半島ではこの縄文系 DNA が少なくとも6000年前までに遡る。」も注目される。  
ゲノムレベルで弥生時代に大陸からの渡来人の大型移住があったという説は、考古学研究による見解が、学際研究でも裏付けられたことになる。  
日本はいろんな意味で東アジアの吹き溜まりということなのだろう。様々な人種や文化が日本列島上でまじりあい、現在の日本人、日本文化が成立したということだろう。
日本語は一つと思われているが、方言を見ると、何種類かの別の言語になるという国立機関の専門家の言語学者の話も、ユーチューブで公開されている。(標準語で育った人は、鹿児島弁や東北弁を聞き取ることができない。)



参考
リンク先のプレスリリースのリンクが後日接続不能になる可能性があるので、「日本の研究.com」のプレスリリースのコピーを以下に掲載しておきます。


当サイトで紹介しているプレスリリースの多くは、単に論文による最新の実験や分析等の成果報告に過ぎませんので、ご注意ください。 詳細
国際的研究チームが歴史言語学、考古学および遺伝学の「三角測量」によって、トランスユーラシア言語の起源と初期拡散を解明したことが Nature 誌で発表された。
日琉語族、朝鮮語族、ツングース語族、モンゴル語族及びチュルク語族を含むトランスユーラシア言語の起源はアジア先史学のなかで最も激しい論争となっている。今回の研究は、歴史言語学、考古学及び遺伝学の「三角測量」によって、トランスユーラシア言語の起源や初期拡散が西遼河地域の新石器時代のキビとアワを栽培した農耕民まで遡ることを明らかにした。

トランスユーラシア言語の共通点の多くは借用によるものにもかかわらず、最近の研究では、これらの言語を系図グループ、共通の祖先から出現した言語のグループとしての分類を支持する信頼できる証拠が示されてきた。しかし、これらの言語と文化の祖先関連性を受け入れると、最初の話者がいつ、どこに住んでいたか、子孫の文化がどのように維持され、相互作用したか、そして数千年にわたるそれらの拡散の経路について新しい課題が生じる。

ドイツのマックス・プランク人類史科学研究所を中心とした、中国、日本、韓国、ヨーロッパ、ニュージーランド、ロシア、米国の研究者を含む国際チームが11月10日 Nature 誌に発表した論文では、言語拡散の「農耕仮説」を学際的に支持し、トランスユーラシア言語の最初の拡散が、東北アジアにおける新石器時代前期のキビ・アワ農耕民の移住と関連すると結論した。新たに解析された中国、韓国および日本の古人骨ゲノム、広範な考古学データベース、および 98 言語の語彙概念の新しいデータセットを使用して、トランスユーラシア言語の祖先コミュニティの時間の深さ、場所、および分散ルートを三角測量で分析した。

歴史言語学、考古学、遺伝学から得られた証拠によると、トランスユーラシア言語の起源は西遼河地域のキビ栽培の始まりおよび初期のアムール遺伝子プールまでさかのぼる。新石器時代後期、アムール地域遺伝子を持つキビ・アワ農耕民は北東アジアの隣接する地域に広まった。その後の数千年の間に、原トランスユーラシア語から分岐した話者は、黄河、ユーラシア西部および日本列島の縄文文化と混ざり合い、稲作、麦等のユーラシア西部の作物、牧畜民の生活様式をトランスユーラシアのパッケージに加えた。

筆頭著者であるマックス・プランク人類史科学研究所の言語考古学グループArchaeolinguistic Research Group のマーティン・ロベーツ教授は、「一つの学問だけでは言語の拡散を取り巻く大きな問題を決定的に解決することはできません。しかし、歴史言語学、考古学、遺伝学の 3 つの分野を組み合わせると、シナリオの信頼性と妥当性が高まります。3 つの分野によって提供された証拠を調整することによって、3 つの分野のそれぞれが個別に提供するよりも、トランスユーラシアの移住について、よりバランスのとれた、より豊かな理解を得ることができました。」と述べる。

三角測量に使用される言語学的証拠は、100 程度のトランスユーラシア言語から、250 を超える概念を表す 3000 を超える同根語セットの新しいデータベースから得られた。 その結果、研究者たちは、西遼河地域に住むキビ栽培の農耕民に、9181 年前に遡る原トランスユーラシア語のルーツを示す系統樹を構築することができた。

研究チームの考古学的結果は、約 9000 年前にキビの栽培を開始した西遼河流域にも焦点を当てた。中国、朝鮮半島、ロシア沿海地方及び日本を含む、255 箇所の新石器時代・青銅器時代の遺跡から出土した遺構・遺物をデータベースに入れ、ベイズ推定分析を行った結果、西遼盆地の新石器時代の文化クラスターが示された。 その後、このクラスターは韓国新石器文化、およびアムール・沿海地方・遼東の二つに枝分かれした。さらに、青銅器時代に朝鮮半島にイネとムギが伝播し、約 3000 年前に日本にも伝播した。



英文のプレスリリースはこちら:

https://www.shh.mpg.de/2071364/robbeets-transeurasian-agriculture



縄文ゲノムは韓国にもあった
韓国の欲知島 Yokchido 遺跡出土の女性人骨の DNA が95%縄文という結果が得られた。年代は新石器時代中期、紀元前3500―2000年と推定される。九州と韓国の間、黒曜石や貝製品などの交易が縄文時代にあったことは考古学的な調査で既にわかっていたが、DNA分析で証明できたことは重要である。また、従来の考古学者はこの縄文時代の日韓交易は男性を中心とした漁猟集団が行ったと考える研究者が多いが、欲知島遺跡の縄文系人骨は女性であったことから、男性と女性の両方がこの交流に参加したと考えられる。

欲知島以外の二箇所の韓国新石器時代の遺跡のサンプルも、10 ―20% の縄文系 DNA を持っていたことが解明された。半島ではこの縄文系 DNA が少なくとも6000年前までに遡る。これは九州などの縄文文化との交易によってなのか、元々縄文系のヒトが半島にいたかどうかが、今後の研究の課題である。



ゲノムレベルで弥生時代の大型移住を確認
今回の研究では、北部九州の弥生時代遺跡福岡県安徳台および隈・西小田を二箇所 DNA 分析して、弥生時代の「渡来人」の遺伝的な位置づけがより明らかにされた。ゲノムレベルで大陸から大型移住があったと結論する。



沖縄人の起源:「二重構造モデル」を矛盾する結果
今回の研究では、初めて沖縄からの古代 DNA ゲノムが得られた。サンプルはマックス・プランク人類史科学研究所のマーク・ハドソン博士が発掘した宮古島の南嶺の長墓遺跡(パインミヌナガバカ、以下、長墓遺跡)から出土された人骨である。長墓遺跡は近世および先史時代に属する。近世の人骨は現代沖縄人と同様に約20%の縄文 DNA を持つ。言語学や考古学の結果と合わせると、中世(グスク時代)に九州からたくさんのいわゆる「本土日本人」が農耕と琉球語を持ちながら、琉球列島へ移住したと推定できる。この結果は、沖縄人が縄文人の系統を引くと結論する埴原和郎の「二重構造仮説」と矛盾する。

一方、長墓遺跡の先史時代人は100%縄文という結果が解明された。これは従来の先島先史時代の人々が台湾またはフィリピンなどから由来した「南方説」と矛盾する。宮古島の先史時代は縄文系の土器などの物質文化は確認されていないが、ゲノムレベルでは縄文系の人々であった。八重山の先史時代の人々も縄文系かどうか、あるいは台湾からについては今後の分析が必要であるが、今回の研究では縄文文化と縄文ゲノムが必ずしも一致しないことが明らかになったことが一つの大きな成果である。



まとめると、この研究の結果は、何千年にもわたる広範な文化的交流によって隠されているにもかかわらず、トランスユーラシア言語は共通の祖先を共有し、トランスユーラシア言語の初期話者の拡散は農耕によって推進されたことを示しています。

「自分の言語、そしてある程度は自分の文化のルーツが現在の国境を越えていることを受け入れるには、ある種のアイデンティティの方向転換が必要になるかもしれません。それは、人々にとって必ずしも簡単なステップではありません」とロべーツ教授は述べています。

「しかし、人類史の科学は、すべての言語、文化、および人々の歴史が、長期間で相互作用と混合があったことを示しています。」

今回の研究は、歴史言語学的、考古学的、遺伝的手法の三角測量が仮説の信頼性と妥当性をどのように高めることができるかを示しているが、著者はさらなる研究の必要性を認識している。 マックス・プランク言語考古学研究グループのマーク・ハドソン博士は、「トランスユーラシア言語の最初の拡散は新石器時代にあったが、その後にも複雑な歴史があります。今回の研究でたくさん新しいことがわかりましたが、今後の課題も数多く残っています。」と述べている。
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