クマゴローの巣穴 (kumagoroh's burrow)

自動車模型から犬や猫、はたまたバラなど、多趣味が災いしてビンボーですが、ナカナカ趣味は減らせません。

SHOW ME YOUR WAY J.BOY

2012年06月28日 06時00分53秒 | Weblog


6月2.3日に妻と行った「浜田省吾 東日本大震災復興支援コンサート」の記事が、なんと日経の夕刊で紹介されていた。

以下の記事を読んでみるとよくわかるが、ひょっとして「隠れた予言者なのでは」と思うことがある。
あのバブル期の「ジャパンアズナンバー1」あの言葉はいったい何だったのだろう?

国内空洞化を叫ばれているにもかかわらず、貨幣価値のずれていることに気がつかないアジア近隣の国へ国内産業を次々と
シフトしている。今の日本を築き上げた底辺の父ちゃん、母ちゃん、兄ちゃん産業から力づくで仕事を奪い
大手企業だけがのうのうと生きながらえる様に思える。

そもそも貨幣価値等というのはレート変動で銭儲けしている連中のゲームではないのか。

よく、「どこどこの国は一家6人が日本円で8000円で生活している」と言った記事を眼にするがこの8000円という金額は
マネーゲームで見いだされた兌換額でしかなく、現地では、やはり日本国内で一家6人がなんとか生活できるだけの価値があるはず。

過去の台湾も「日本と比べて物価が安い」と言われていたが日本人がハイエナの如くとりついた結果、今では決して安いとは言えなくなっている。

やがて、今だまされている国々が目を覚ますだろうがそのときの日本は果たして名実ともに復興しているのかそれとも国家破産となっているのか。

ますます迷走する日本の先行きは、一体ダレが舵取りしていくのか・・・・・。

私も浜田省吾も、もうすぐ60歳。棺桶がそこまで見えてきているオヤジ達が心配することでもないかも知れないが。


一度YOU TUBE等で浜田省吾の楽曲をじっくり聞いてもらいたい。

「路地裏の少年」「J.BOY」「僕と彼女と週末に」「家路」そして「I am a father」

きっと経済発展とその衰退、取り巻く環境、そして家族愛を通じて少しだけ見えている光を感じることが出来るかも知れない。

※紹介した楽曲は「I am a father」をのぞき、全て1980年代の作詞作曲で、今でも彼のコンサートの中核となっている。



日経ライブレポート「浜田省吾」2012年6月19日 日経夕刊掲載


 被災地復興のため、ツアーの追加公演として行われたライヴを観た。浜田省吾やこのツアーについて知識のない人間が見たら、震災以降、原発事故以降の日本をテーマにし、新たに構成されたライヴだと思うかもしれない。

たとえば長いライヴのほぼクライマックスとして歌われる“僕と彼女と週末に”は、核の危険とその核に汚染されてしまった世界に生きることをテーマにした楽曲だ。この曲では、海辺を散歩して海岸ホテルに1泊したカップルが翌朝不快な気分で目覚めると、浜辺に大量の魚の死骸が打ち上げられているという衝撃的な光景が歌われている。また彼の代表作“J.BOY”は、戦後日本の成長を信じて生きてきた日本人がアイデンティティを失ったときに、何を根拠に生きていけばいいのかという不安と戸惑いが歌われている。まさに2012年、我々日本人が切実に向き合っているテーマが歌われているのだ。

しかしこのライヴは震災後をテーマにしたものではない。ライヴの構成も演出も全て、震災前に出来上がっていたものだ。“僕と彼女と週末に”は82年、スリーマイルの事故はあったものの、日本人のほとんどが原発の安全性を信じていた時代に作られた曲だ。“J.BOY”も86年のバブル前夜、日本の経済力を多くの国民が信じ、その後のバブルの狂乱もそしてその崩壊も知らなかった時代に作られた曲だ。

改めて浜田省吾というアーティストがいかに日本の現実と向き合い、時代を的確に予感していたか痛いほど感じられるライヴだった。僕は優れたロック・アーティストは時代を歌うのではなく、時代に歌うことを強いられる人だと思っている。浜田省吾は、まさに時代に歌うことを強いられたロック・シンガーだということを感じさせるライヴだった。