4年周期の証明 日本のサッカー大好き!

サッカーについて語るときに私の語ること サッカー大好き ジャパンフットボールで一期一会 記事上ノくーろん者。

リベンジ

2005年06月09日 22時43分52秒 | ニュース
あの日の悔しさを拭い去るためにも勝って一位通過へ。

予選突破記念品を作製し、W杯アジア最終予選最終戦のイラン戦(8月17日)の入場者に配布。予算は1000~2000万円で、キャプテンは「Tシャツなんかがいいんじゃないだろうか。ちゃちなものにはしたくない」と語った。
また、川淵キャプテンはイラン戦のメンバーに関して「欧州組は全員そろえたい。前日合流でも構わない」とした。7月31日開幕の東アジア選手権(韓国)のメンバーについては「若いのを入れて欲しいなあ。相馬(東京V)、石川(FC東京)、カレン(磐田)なんかどうだろう」と新戦力発掘にあてたい考えを語った。
イラン戦は横浜市の日産スタジアムで開催予定
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無観客ということ

2005年06月09日 11時43分23秒 | ニュース
何を目的にいったんだ。この人達は・・・もしFIFAに目を付けられペナルティーでも出されたら責任とれるのか...

試合後のミックスゾーンが混乱した。タイの警備が緩やかだったこともあり、取材エリアに日本のサポーターやタイの人々が次々と入り込んだ。
日本サッカー協会の職員が退場を促し、いったんは報道陣以外の一般の人たちを外に出したものの、選手が出てくると再びミックスゾーンに入ってきて、取材ができない状態になってしまった。
日本ではミックスゾーンへの一般人の立ち入りを厳しく禁じるが、第3国開催で、しかもW杯出場決定でサポーターが興奮していたということもあり、そのあたりがあいまいになってしまったようだ。
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この指揮官以上あり

2005年06月09日 11時42分59秒 | ニュース
開くべきドアを開いただけで安易すぎるんじゃないのか。ジーコには未だに疑問符が多すぎる。今でも解任は早くはない。

8日、スパチャラサイ国立競技場周辺に一番乗りした「ジーコ日本代表監督を応援する会」会長の河津享さん(35)は、昨年の1次予選期間中、同監督の解任を求める組織の抗議行動に対抗し、続投を求める署名活動を展開しただけに感激はひとしお。「いろんな批判を浴びたけど、ジーコはやっぱり正しかった!」と叫んだ。
「ジーコ! ジーコ! ジーコ!」。競技場近くのホテルで開かれた中継映像の観戦会で試合終了を迎えた河津さんは、400人以上のサポーターとともに画面に向けて叫び続けていた。「これまで、いろんな批判を浴びてきたけど、ジーコは正しかった。正しかったんだと証明できた。最高の瞬間です」。ジーコ監督の顔を描いたTシャツを汗でぬらして、誇らしげに言い切った。
04年3月、「ジーコ日本代表監督を応援する会」を立ち上げた。W杯アジア1次予選期間中には、同監督の解任を求めて抗議行動に出た組織に対抗して、続投を求める署名活動を展開した。約1万3000人分の署名を日本サッカー協会に提出するなど、ジーコ監督を全面的に支援してきた。
河津さんは92年、鹿島のサポーター組織「インファイト」を立ち上げている。「ジーコがいくつもの奇跡を起こしたから、今の鹿島がある。そのジーコに対する批判は一緒に受ける、ぐらいの覚悟でサポートできるのは、おれたちしかいない。批判にさらされても、自分たちは応援しているんだと示したい」。この日は400メートル離れたホテルと競技場を4往復して応援した。
気温30度以上の炎天下の中、キックオフの3時間以上前には競技場に到着。ジーコ監督の顔を描き、「スピリット・オブ・ジーコ」との文字を刻んだ縦3メートル、横5メートルの旗を競技場周辺に掲げた。「引退直前の『つば吐き事件』もJリーグの審判技術の向上を思っての行為だったと信じている。ずっと、ジーコは正しいと信じてついてきた。今日は正しかったと証明してくれると思います」と目を血走らせ、キックオフを迎えた。
試合後にはジーコの旗を持って、再び競技場の正門付近へ駆けつけた。ドーハの悲劇以来、日本代表の試合の応援からは足が遠ざかっていた河津さんだが、「ドーハでの嫌な思いが吹き飛びました。ジーコと一緒にドイツ大会に行きます。ジーコ! ジーコ! ジーコ!」。河津さんは深夜まで叫び続けた。
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祭ムード

2005年06月09日 11時42分23秒 | ニュース
みなさんおつかれさまです。

スパチャラサイ競技場に駆けつけたのは約200人。試合開始約3時間前から同競技場の正門付近に陣取り、選手の会場入りを待った。競技場を取り囲む柵は、日本から持ち込んだ横断幕で覆われた。「世界で一番乗り たとえ近くにいれなくても」祈りを込めた文字の数々。7日にバンコク入りしたという自営業の男性(26)は、「テレビで見るだけがサポーターじゃない。もしかしたら声が聞こえるかもしれないし、精いっぱい届けたい」と熱い思いを語った。

タイ・バンコクのスパチャラサイ国立競技場に隣接するパトムワン・プリンセスホテルの26階スイートルームにはバンコク在住の主婦(54)が陣取って、日本代表を応援した。日本にいる友人に託されたという日の丸と、GK土肥、DF加地の横断幕を、競技場に面したガラスに張りつけた。双眼鏡で見るだけでなく部屋にあるテレビをつけて英語の解説を聞きながら観戦。「バンコク開催と同時に予約して、この部屋を押さえていた。やっぱり生で見るのは違います」。W杯出場決定の瞬間は、跳び上がらんばかりに喜びを爆発させていた。

タイ・バンコクのスパチャラサイ国立競技場から約400メートルのところにあるパトムワン・プリンセスホテルの宴会場では約400人の日本人が集まって、地元テレビの映像を見ながら応援した。太鼓を打ち鳴らすなど応援をリードし続けた鹿島サポーターの鈴木慎人さん(34)は「感動しました。仕事が休めればドイツへ行きたい」と話し、言葉を詰まらせた。山形から現地企業に赴任中の男性会社員は仕事を終えて後半から家族3人を連れて観戦。「前から13という背番号が好きで、応援していたんです」と、柳沢の先制点に興奮していた。

1万638人が集まった大阪・長居スタジアムのパブリックビューイングは、後半44分、地元G大阪のFW大黒が2点目のゴールを決めると、興奮は最高潮に達し、「オーグロ、オレ」の大合唱となった。司会を務めたFM局のDJ久保田コージ(43)は「あまりの盛り上がりに『ホンマに長居で試合してんのちゃうか』と錯覚しました。最後は『ヤッター ! 』としか言えませんでした」と満面に笑みを浮かべた。

名古屋市中区のスポーツバー「ラ・コパ」には試合開始時に約500人が集結。最終的には約680人まで膨れ上がり、全員で日本の3度目W杯出場決定を喜んだ。初の試みとして開始前の国歌斉唱時に地元を中心に活躍する女性レゲエ歌手のMACHACOを招き、タイと時を同じくして全員で君が代を斉唱。ともに戦う気持ちを伝えた。勝利の女神となったMACHACOも「国歌斉唱は初めての経験。日本代表の勝利を祈って心を込めて歌いました」と喜んだ。

姿なきサポーターが日本代表の力になった。会場外の約100人の日本人サポーターが、見えない選手に声援を送り続けた。太鼓をたたき応援歌を絶叫し「ニッポン」を連呼した。その声は40度近い熱風に乗って、静寂のピッチに響き続けた。
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