東京のド真ん中千代田区紀尾井町に、ホテルニューオータニ、
2年前にオープンした東京ガーデンテラス紀尾井町などが
面している紀尾井町通り。写真で左側に緑がある所が清水谷公園だ。
井伊家との境目付近が谷だったこと、井伊家との境目付近の
紀州徳川家の屋敷から清水が湧き出ていたことから
付近は清水谷と呼ばれた。この公園付近を
個人から東京市に寄贈されたのを受け、1890年清水谷公園として開園された。
現在は清水は涸れて、人工的に復元した心字池がある。
又各種樹木があり、ちょっとした森になっていて
界隈を行き交う人々の憩いの場となっている。
かつてはデモの集会の場としても知られ、よくニュースに出て来た。
この地に来た訳は今年のNHK大河ドラマ「西郷どん」の
相手役正助どん即ち、大久保利通(1830~1878)が
暗殺された、その生の地に立ってみたかったから。
大久保利通は薩摩藩出身の政治家で、明治維新後は
版籍奉還や廃藩置県などを主導し、初代内務卿(実質上の首相)に
就任した。現在に至る日本の官僚機構の基礎は
大久保によって築かれたと言われている。
西南戦争の終結後、一部の士族らが大久保の政策に反発し、
1878年5月14日朝、麴町清水谷において、
赤坂仮皇居内の太政官へ出仕する途中の馬車を襲い暗殺した。
この事件は「紀尾井坂の変」と呼ばれている。この哀悼碑は
暗殺された10年後の1888年(明治21年)建立された。
石碑の後から撮った写真には東京オリンピックの年
昭和39年9月に開業したホテルニューオータニ
ザ・メインと10年後の昭和49年9月に開業した
新館のタワー(ガーデンタワー)が写っている。
大久保利通は現在青山墓地で眠っている。その大きな
お墓の側にはともに犠牲となった馭者や馬も眠っている。
それにしても鳥居があり、墓石の大きいこと。
これを見るとその当時の人々の衝撃の大きさが伝わってくる
ような気がする。(2016-6-3付ブログ 青山墓地を参照)
この石桝は昭和45年道路工事の際に出土した玉川上水
幹線(本管)の一部。江戸は慶長・寛永期と時を経て
人口が増加すると、小石川上水や溜池上水といった
旧来の上水だけでは水不足となり、新しい玉川上水が開発された。
全長43㎞に及ぶ水道を造ったが、四谷大木戸(現在の四谷4丁目)
から石樋や木樋による暗渠となり、江戸城内をはじめ
麹町・赤坂・虎ノ門などの武家屋敷地や京橋の町地にも給水された。