スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

山形・鶴岡の街

2018-10-13 05:39:56 | 旅 ~国内

今年3月に何かと話題の中オープンした鶴岡市文化会館

(愛称は荘銀タクト鶴岡)。この会館の設計はプロポーザル方式で

公募され審査の結果、妹島和世建築設計事務所と地元JVに決定した。

因みに当設計事務所はブログで紹介した金沢市の

21世紀美術館、両国のすみだ北斎美術館などの作品を手掛けた。

話題とは当初計画の総事業費予算の2倍、96億7600万円もかかってしまった事。

鶴ヶ岡城の本丸跡(鶴岡公園)にある明治10年に創建された

「庄内藩主酒井家の4人の先祖を御祭神として祀った庄内神社。

境内の入口には「庄内藩創立400年まであと4年、変わらない

歴史がここに」という看板が立っていて印象深かった。

庄内神社の隣りには鶴岡が生んだ作家、藤沢周平記念館がある。

館内の構成は第一部藤沢文学と鶴岡・庄内、第二部藤沢文学のすべて

第三部作家藤沢周平の軌跡となっている。

又東京の自宅仕事部屋で実際に使っていた机や愛用品などを

展示してある書斎がコンパクトに復元してある。

行った時は藤沢周平誕生90年特別企画展「半生の記をたどる」が

公開されていた。藤沢周平(本名小菅留治)は昭和2年、

現鶴岡市高坂に生まれた。山形師範学校卒業後、教師となったが結核で休職。

その後東京の業界新聞社に勤め、その傍ら小説を執筆。

昭和48年「暗殺の年輪」で直木賞を受賞した。

代表作としては「蝉しぐれ」「たそがれ清兵衛」「用心棒日月抄」

「橋ものがたり」などがある。平成9年逝去。

エントランスホールやサロンでは、藤沢周平関連の各種情報検索や

読書が楽しめる。藤沢周平曰く「生まれ育った土地の風景が

今も私の中に生き続けている」。

国指定史跡、庄内藩校、致道館。ここは庄内藩酒井家9代忠徳が退廃した

土風を刷新して藩政の振興を図るために文化2年(1805)に

創設した学校だ。明治6年に廃校に到るまでのおよそ70年間

致道館は荻生徂徠の学風を伝承し、且つ孝悌忠信を重んじて

武士道を体得し、お互いに切磋琢磨して多くの人材を輩出した。

今回の旅の一番の目的は鶴岡西RCの例会に

メイクアップすることです。当クラブには国際ロータリーの現役理事の

メンバーの方がいらっしゃって、熱烈歓迎を受けた。

道路の右側には雪国特有の防雪棚が続いていた。

この吹き払い式防雪棚は、角度のついた棚が道路に風が

吹きつけ吹き溜まりを防ぐ為に設置しているもの。

これによって地吹雪(じふぶき)を防止することができる。