記憶の場所

観た映画の感想をつれづれなるままに書き連ねるブログ。週1~2本、たまに映画館。

マヌエル・マルティン・クエンカ監督「カニバル」

2015-06-01 21:34:07 | カ行
春の人肉食祭り最終章


マヌエル・マルティン・クエンカ監督「カニバル」
オチをどうしたかったのかよくわからなかったけど、全体的にまとまってるというか、静寂しかない荒野が広がってる気分。
ラストシーンに、感動も、恐怖も、悲しみも、何もない。
綺麗な映画だよ。びっくりするくらい淡々と進むけど、心理的なあれこれが好きな人にはたまらないと思う。
たぶん彼はこれからも変わらず女性を殺し続けるし、食べ続けるだろう。

前回観た「肉」はいわば宗教的行事であり、特別なイベントだったわけで、それはもう全身隅から隅まで(骨以外)食べちゃってる感じだけど、
今回は生活の一部。だから主人公も淡々と殺すし、食べるし、殺すし、食べるし。「スーパーに買い物に行くのといっしょ」ってレビューを書いている方がいたけど、まさにその通りだな。私が生鮮食品のコーナーで鶏胸と鶏もものどちらにするか比べるのと同じ感覚で、どの女性を食べるか選んでる。

上の階に越してきた女性に魅かれて、もちろん食べて、そしたら女性=妹と連絡が取れなくなって心配した姉が訪ねてきて、姉の方に今度ちょっと興味を持っちゃったっぽい。でも姉と出会った後も他の女性を狙ってたから、たぶん最初は食べるつもりはなかったと思われる。
最後は…食べたかな。好きだから食べるんだもん。本人自ら「すべてがほしいから食べる」って言ってるもん。
自分の中に取り込んで、一つになって満足を得るけれども、食欲が永遠に満たされることがないように、この場合は愛情が満たされることはなく、食べ続けるんだろうよ。

その姉との会話の中で、「私は人を愛したことがない。愛することもない。」って言ってるけど、それは嘘なんだよたぶん。主人公は、好きになりすぎて、思いが強すぎて食べてるんだと思う。作業台に女性を乗せた後の手つきのなんと優しいこと。愛撫といってもいいような、柔らかな触り方をしてる。まぁただ単にこれから捌く肉の弾力を確かめてるだけかもしれないけど。
前回観た「セブン・サイコパス」よりよっぽどサイコパスだぜ。社会的地位や魅力もそれなりにあり、自分がしていることに全く罪悪感を感じていない。彼にとって殺す=食べる行為は、愛の告白と一緒なんだよ。
欲を言うなら、自室に食べた女の頭蓋骨をコレクションするくらいの執着がほしかった。あれだと本当に食べたら終わりだ。一夜限りの逢瀬と一緒だ。

正直、こんなタイトルだから、もうちょっとぐちょぐちょしてるのを想像したらそうでもない。解体シーンが一切出なかった。たぶん出てたら途中で観るの諦めたけど。
この主人公がまた無表情なもんだから、女性陣の感情が1.2倍(当社比)くらいに引き立って見えないこともない。クライマックスの女優さんの表情の変化最高だぜ。衝撃の告白の後、動揺と怒りと悲しみが顔の上を行ったり来たりしてる。
キリスト教をちらちらと混ぜ込んできてたから、たぶん宗教的なアレもあったりするんだろうけど、すみませんそこまでは頭良くないので考察できません。




蛇足っつーか何というか。
妹と姉の間に一人殺してるんです。これ死因が溺死で結局食べることはできなかったんですけど、死ぬまでの流れがですね、

カップルがビーチそばのカフェでデート→何を間違えたか寒そうな浜辺で素っ裸になってキャッキャウフフ→車に鍵つけっぱなしだったので主人公が車盗難→気付いた彼氏素っ裸で追いかける→車に轢かれてド━(゜Д゜)━ン!!(もちろん素っ裸)→彼女殺されたくないから海から上がれない&沖に逃げる

で、おそらくこの後力尽きて溺れるわけなんですよ。逃げられちゃったものだから食べられず(もしかしたらしょっぱいのは嫌だったのかもしれない)

いやそれにしても突然裸になってキャッキャウフフし始めるわフルチンで轢かれるわもう笑うしかないですよね。


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