神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.273 無答責の国

2024-08-26 00:28:54 | 文書・文献
(1)先ほど、大阪・箕面市長選挙で、「維新」公認の現職市長が落選し、元自民府議の無所属新人が当選したと報じました。しかも、現職市長が落選するのは初めてだそうです。
 詳しいことは選挙結果を見てからですが、吉村府知事の応援が功を奏さなかったというのは「痛快」です。
 「維新」は、「大阪都〔大阪市廃止〕構想」を持ち出して府民の顰蹙をかいましたが、あの考え方は大阪府〔都〕への権力・権限集中を狙ったもので、財政学の観点から見ても、地方自治の観点からみても、誤りです。
 思い付きで政策を語る政党や、ポピュリズム〔扇動する政治〕の政党は、遅かれ早かれ見放されるだけです。憲法にもとづいて着実に国民の生活要求を実現しようとする努力があってこそ政治はよい方に進むものです。
 当選した「新市長」はその点はどうでしょうか?

【コレクション 69】
 きょうは、『近代日本と植民地』です。
 岸田首相は、残り少ない任期をアチコチと動き回るのだそうです。
 でも、その中には、自分も責任があるパーティー券・裏金問題の解明と説明は含まれていません。もう責任を取る気はないようです。これでは、海外へ出かけるのは「国外逃避」か、体のよい外遊〔言葉の本来の意味の〕としか考えられません。
 一方、次期総裁選候補の面々も、マスコミも、もはや時効とでも思っているのでしょうか。いつ「立候補表明」をするのかばかりに目が向いて・・・。日本はほんとうに責任を取らない・取らせない国です。
 これを「正調の上州弁」で抗議すると、
「おめぇ~、それで責任が取れるんかい? 取れね~だんべぇ よくかんげぇ~ろ!」
  
 おっと、『近代日本と植民地』でした。これは、手元に3種類のパンフとチラシがあります。つまり、92年3月、95年3月、05年3月の3回、刊行が企画されたようです。
 内容紹介の簡素化のために、まず第3回を載せます。
  第3回チラシ

 これはチラシですが、裏は別の広告です。大きさはB4判です。
 本の内容説明からいうと、下のパンフの方がもうちょっとは詳しくなります。しかし、タイトルなどは同様ですから、説明は上のものをお読みください。下のパンフでも内容説明を省きます。パンフの雰囲気だけでも楽しんでください。

  第1回パンフ 


 大きさは、上のチラシと同じでB5判で、8㌻です。
 全体は、B5判4枚分の横長の用紙を左右から4分の1ずつを谷折りし、さらにもう一度谷折りするとできます。
 1㌻ 上掲
 パンフを開くと、2・7㌻です。
 2㌻ 刊行にあたって 課せられた責務 岩波書店
     推薦文 坂本義和 (明治学院大学教授) 
 7㌻ 編集にあたって 植民地からの照射 編集者一同
     推薦文 戴国煇 (立教大学教授)
 さらにもう一度開くと
 3~6㌻ 各巻の内容紹介 本書の特色
 8㌻ 装丁見本。刊行案内 92年11月刊、以下略。

  第2回パンフ

  むかしの子どものようすがよくわかります。

 大きさはB5判 4㌻です。内容は、
 1㌻ 上掲
 2~3㌻ 再刊にあたって
      第1回3~6㌻各巻の内容紹介。
 4㌻ 装丁見本。刊行案内 95年5月刊、以下略。
 以上です。

 日本は、「首相自身が自分の責任を逃げられる国」です。ですから、過去の植民地問題などで誰が責任をとるでしょうか。
 先日の「早田ひな」さんの発言のように、当人は純粋に特攻隊に思いを致していただけとみられますが、それが国際問題にまで発展するのは、日本の周辺国への加害の問題が曖昧なままなこと、同時に、天皇を初めとする戦争指導者の戦争責任が曖昧にされているために、日本国民全員が国家の指導者と同列に扱われる事態に置かれていることがあります。
 「岸田首相を許さない」、まずこれから始めましょう。

 きょうはここまでです。

    
     日除けのためにと植えたアケビ
     あの山で見た君は うすムラサキの衣をまとって まぶしかった・・・
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No.266 国策

2024-08-19 00:56:27 | 文書・文献
(1)きょうは、NHKスペシャル「サイパン玉砕から80年 発掘・米軍の録音記録」を観ました。
 戦争というのは、どんな美名のもとにおこなわれようとも、結局、現場では殺し合いになる、殺され合いになる、ということですね。
 文明開化を歌った日本が、なぜあのような迷妄・閉鎖的な考えのもとに戦争に走ったのか、なぜ日本国民は戦争を止められなかったのか、もっともっと考える必要があるように思います。
 このことは、今のロシアはなぜあの戦争をやめられないのか、イスラエルはなぜガザの爆撃をやめないのか、ということとも通じます。
 ほかにも、なぜ岸田内閣は、農業や中小企業対策より格段に多い防衛費をさらに倍加してアメリカと一体になって軍事的対応をするのかというのもあります。なぜ大阪万博をやめないのか。なぜカジノをやろうとするのか。カジノで経済発展・振興策など失敗例は韓国にすでにあるのに・・・。
 人間は、こういうばかばかしいことから解放されるようにするためには、「イヤだ」という声がもっともっと必要です。

       
      きょうの月
      〽月々に月見る月は多けれど 月みる月はこの月の月

【コレクション 61】
 きょうは、『日本産業史』です。

 
 大きさは、A4判、4㌻です。
 全体は、
 1㌻ 上掲
 2~3㌻ 特色 内容案内 主要目次
  4㌻ 宣伝・広告 定価71400円 B5判 2400㌻ 全3巻 2011年
    (定本)『昭和産業史』(東洋経済新報社編・刊 1950年)  

 内容・体裁は以上ですが、このパンフは大変興味深いものです。
 2㌻目の冒頭で、
 「なぜ日本は太平洋戦争へと突入したのか。/終戦後の復興過程で、〔戦争経済から〕産業構造をどのように変化させたのか」と問うています。
 そして、「序」から次のように引用しています。
 「この第1巻の特色は・・・従来極秘に付されていた諸資料をも駆使して、砿業、重工業、化学工業、及び特に軍需工業の全貌を明らかにした点にある。・・・本書刊行の目的は、過去における我が国産業の構造及び組織を正確に知ることにあるが、そのためには、過去における我が国軍需工業の実体を明かにすることが、ぜひとも必要である。」

 19・20世紀の経済を見るとき、とくに日本やドイツなどの経済を見るときに、先進国である英・仏・米との対抗関係から、富国策として国家財政を通じて急激に大規模企業化してくるところがあります。日本の場合は、それを契機として三井・三菱・住友・安田などの銀行をバックにして、様々な事業体傘下に抱えたコンツェルン型の財閥企業体に発展します。そして、国策事業として遂行する政策をとらせようとします。そして、日本の戦争はそういうことが背景にあって、それが市場争いに発展しての結果ということがあります。
 これは、日本だけの特徴でなく、各国とも、国内・国際資本競争の結果、淘汰されないように大独占企業体を形成します。そうすると、先日の防衛省と某企業の接待・癒着のように、裏表で一体化が狙われ、資本の設備である、道路や港湾などを自前で整えるのでなく、国家の経済政策の一環としてなされるようになります。そして、今日では、先進国の産業振興策といえば、得てして大企業のための産業振興策が中心に据えられるようになっていま。そうすると、そのために、国民が必要とする生活基盤整備や社会保障費、農林水産業振興や中小企業対策などの、比較的声の小さい分野の資金が削られるのが普通です。
 税金も、大企業の法人税や、高額所得者の所得税が引き下げられ、代わりに広く薄く〔つまり人口の多い低所得者から〕徴収する租税政策が取られるようになります。
 おっとっとっと~、だいぶ脱線しました。
 きょうはここで。

      
       きょうの西の空

  
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No.258 日本占領

2024-08-11 00:24:14 | 文書・文献
(1)8月は6日広島の日、9日長崎の日、そして15日と続きます。だいぶ前に、この日を「終戦の日」というか「敗戦の日」というかで議論がありましたが、終結を待望した場合は「終戦の日」、戦争の帰趨に主眼を置いた場合は「敗戦の日」でしょうか。
 これは、このブログのだいぶ前〔場所みつけられず〕に書いた「とうとう」です。
 あの時あげた例は、「とうとう電車が来た」でした。これをドイツ語に訳すとき、待ち望んでいれば「endlich〔ようやっと〕」です。これに対して、できるだけ後の方がよい、できれば来ない方がよいという場合は「schließlich〔もう〕]です。なお、ドイツ語の辞書を見ると、「schließlich und endlich〔とどのつまり〕」というのもでてきます。
 おっと、話を戻します。
 あの時、多くの国民は「ようやっと終わった」だったでしょうから、その意味で「終戦の日」ですけど、「ついと敗けちゃった・・・これからどうなるんだろう」もあったでしょうから、その時は「敗戦の日」もアリでしょうねぇ。もちろん、戦争指導者には「敗戦の日」です。「終戦の日」などといった成り行きまかせみたいなノンキなことは許されません。
 ともあれ、庶民にとっては、「8月15日」をどういうクダリで取り上げるかで、「終戦の日」も「敗戦の日」もあるでしょう。
 この先、ウクライナやガザやそのほか多くの紛争地の子供たちは、多かれ少なかれ複雑な心持で終戦を迎えるはずです。その意味で世界はもっと急がなければなりません。遅い。
 きょうは、その終戦に関わるもので出て来たものを選びました。

    

【コレクション 49】
 まず、『密室の終戦詔勅』です。
 
 全体は、B5判大で、4㌻です。
 1㌻ 上掲
 2㌻ 上段 「 ”終戦の詔書”は何を語るか?」
    下段 詔書の作成過程を示した図。
 3㌻ 上段 推薦文 福島鋳楼(占領史研究会員)終戦の詔書に新事実
    中段 終戦閣議の座席図 第1回聖断の座席図
    下段 詔書の署名ページの図
 4㌻ 刊行案内 B5判 340㌻ 定価3500円 雄松堂出版 1989年
 以上です。
 この本の内容は、従来、詔書は迫水久常書記官長による起草と考えられていたが、実はその前に起草者がいたことなどがわかったというものです。これは事実の解明として重要なことです。しかし、上のパンフはどうでしょうか。ちょっと大げさにすぎませんか。
 見ると「家庭の書架に1冊!」などというキャッチ・コピーまであります。全国の約4千万世帯に1冊ずつ??? 売らんかな主義の広告です。要注意です。

【コレクション 50】
 つぎは、『G.H.Q.東京占領地図』です。
 
 全体はB5判大、4㌻です。
 1㌻ 上掲
 2~3㌻ 上段 福島鋳郎(日本出版学会会員 占領史研究会会員) 刊行のことば
      下段 占領当時の国会辺と銀座辺の写真と地図
 4㌻ 内容一覧 
    刊行案内 B5判 250㌻ 定価7500円 雄松堂出版 
 以上です。
 このパンフを見て買う人がいるでしょうか。2色摺だからではなく、どこを見ても魅力がありません。「現物を一度見てからだな」とまで行くかどうか、という感じです。。

【コレクション 51】
 つぎは、『日本占領・外交関係資料集』です。

 全体はB5判大、8㌻です。
 1㌻ 上掲
 2㌻ 荒 敬 編集にあたって
    推薦文 竹前栄治 東京経済大学教授 きわめて価値の高い資料集
    推薦人 赤澤司郎 荒川章二 粟屋健太郎 佐藤秀夫 袖井林二郎 中村隆英
    各巻の構成
 3㌻ 全巻収録資料一覧
 4~5㌻ 収録資料見本
 6~7㌻ 占領期関係年表
 8㌻ 宣伝・広告
 以上です。
 このパンフは2色刷りで、見た目は殺風景ですが、内容紹介としてしっかりしています。上の1面だけでも読んでみてください。

【コレクション 52】
 最後は『資料 日本占領 1天皇制』です。
()
 全体はB5判大6㌻です。横長のB5判3枚分の紙を、最初に左の3分の1を折り込み、次に見後の3分の1を折り込むとできます。
 1㌻ 上掲
 2㌻ 1天皇制の紹介 本シリーズの特色
 3~5㌻ 1天皇制の全目次 続刊案内
 6㌻ 広告
 以上です。
 このパンフは、上の1㌻目は立派ですが、2㌻目は目的不明、3~5㌻は、全目次がわかり調べるには都合よいですが、細かすぎてあまり有難くありません。1㌻をのぞけば、全体として良い出来ではありません。
 以上、それぞれ工夫されはいますが、どれも持っていて「楽しい」と思うのは一つもありません。
 きょうはここまでです。 

    
     公園の夕べ

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No.257 震災

2024-08-10 00:36:06 | 文書・文献
(1)宮崎県南東部・神奈川県西部と連続して地震が発生しました。目下の雰囲気としては、気象庁や政府も、NHKなど報道機関も、おしなべて「すわ、南海トラフ地震」といった対応ぶりですが、果たしてどうなのでしょうか。
 こういう時にこそ言いたいのが、
 外交で防げる軍事(防衛費)に金をかけるのでなく、プロの防災組織・機構をつくること、 
 気象や火山などの(これまで減らしてきた観測所を復活させ)もっと作るほか、地球科学の基礎的研究の振興に努めること、
 国民生活の安全のため、国土保全・環境維持・食料確保の要点である農林魚業にもっと支援策を講ずること、
 などです。 
 先日「米が品薄だ」というニュースがあったせいか、きょうカミさんが買い物に行ったら、スーパーの棚からコメがなくなっていたそうです。これでは、1970年代のトイレットペーパー騒動から何も学んでいないことになりかねません。

(2)そこで、きょうは、手元にある震災関係のチラシとパンフを紹介します。といっても、意識して収集したものではなく、気が付いたから持ってきておいたという程度のものです。

【コレクション 45】
 まず、横浜開港資料館で平成5〔1993〕年7月17日~10月24日に開催された「関東大震災と横浜」のチラシです。
 大きさがB5判で、裏表とも参考になりそうですから、そのまま載せることにします。
 〔表〕
 上側の絵は「牛田雞村画」、下側の絵は「服部亮英画『大震災絵巻』(服部一馬氏所蔵)とあります。

        
 〔裏〕
 上側の4枚の写真は「中央電話局屋上からの市中全景」。
 中段のノートは「戒厳令司令部神奈川警備隊司令官『陸軍中将奥平俊蔵自叙伝』。
 下段左の新聞は「東京日日新聞』大正12年9月2日付」。
   右は「復興英貨公債」


 
 なお、神足勝記もその孫の勝浩氏も被災しました。この震災で家屋が倒壊して下敷きとなりましたが、運よく抜け出すことができました。この時のようすは、『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)の538㌻以降に詳しく書かれています。
 なお、ここは歴史的資料としても重要なので、御料局の事業とは関係がありませんが、全文を残しました。また、神足は、その後も、この震災時の苦難を忘れないために、9月1日は震災の日としてあえて握り飯を食べるなどしています。その様子もすべて残してあります。ぜひお読みください。

【コレクション 46】
 つぎは、「国立歴民俗博物館」で2014年3月11日~5月6日に開催された「歴史に見る震災」のチラシです。大きさはA4判です。裏は、白黒で、場所不明の被災地の写真2枚、展示資料名、会場案内などがありますが、割愛します。 
 

 
 なお、このチラシに載せられている写真類の場所の特定はできませんが、一番下のものには右端に「巌手県青森県宮城県大海嘯画報」とあります。これは明治29〔1896〕年6月15日に東北を襲った津波のことです。上記の『神足日記』141㌻に出てきます。
 
【コレクション 47】
 つぎは、『新編日本被害地震総覧』です。
 これは、A4判大、4㌻ですが、1㌻目の右上に「被害地震を瞬時に検索 防災対策関係者に必携」とあるのでわかるように、2~3㌻推薦文と検索画面の説明があり、4㌻目は刊行案内ですから、ちょっと一般向けではないようです。
 とはいえ、この1㌻目の絵は興味深いです。
 左の「要石」を皆で拝んでいます。そして、周囲には、「わだばゴッホになる」といった棟方志功の版画のように、文字が所狭しと書かれています。全文がわからないので何とも言えませんが、この神だのみのことをいっているようです。でも、責任を持てないのでこれ以上は触れないことにします。挑戦してみてください。   

【コレクション 48】
 最後に、『地震の事典』です。
 大きさはA5判8ページです。1㌻と8㌻を下に載せました。これを見ると、このパンフレットの内容はだいたいわかります。
 念のために中を説明しますと、
 2㌻ 「刊行にあたって」と「執筆者一覧」
 3㌻~5㌻ 「内容・執筆者」
 6㌻~7㌻ 「本文組見本」
 以上です。
 このパンフレットは、刊行に必要なことはみな表紙に書いてあり、要領を得ていると思いました。中身は見たい人だけが見るので足りるということのようです。
 
 きょうは、地震に関して何か集めてあったはずだと思いついて探し出したものの、この4つを見つけるのに時間を取られてしまいました。
 あ~あ、くたびれた。おしまい。
        
       きょうの西の空
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No.255 大日本

2024-08-07 23:40:51 | 文書・文献
 きょうもまたカミナリ=サンダーが襲ってきました。
 前にも何度か書きましたが、私の住む昭島市は気象の境目にあたるようで、東の都区部、西の方の奥多摩・山梨、南の方の丹澤山・富士山、北の方の埼玉など、周囲でかなりひどく天気が崩れても、さほど大きな変化は見られません。むしろ、4つの周辺地域からすると昭島市は縁〔へり〕にあるわけで、「あっちは天気がよくないな」と感じさせる程度で、むしろ「おもしろい雲の変化」が見られたりすることがあるくらいです。
 きょうは北の埼玉県狭山市の方から黒雲が広がってきて覆われてしまいましたが、きのうは、夜半に雷雨になったものの、18時頃はきれいな夕焼け雲が見えてました。

   

【コレクション 41】
(1)きょうは『大日本』です。
 これはA4判縦、裏表2㌻ですから、マルマルを下に載せ、説明を略します。
 なお、スキャナーで取り込んだときはくっきりとしているのに、そこからブログに取り込んだところでぼやけます。写真だけ見るのもよし、興味ある人は天眼鏡を使って読むのもよし、としてください。
  まず表
 
 
  つぎに裏

 この本を私は持ってないのですが、すでに古書店でも入手が難しい稀覯本のようです。
 この本について、2つの点から関心をもっています。
 一つは、上のパンフにもあるように、工部大学校が日本の工業技術教育の先駆けとなる機関であり、それを築いたヘンリー・ダイアーが書いた本という一般的経緯からです。
 もう一つは、神足勝記の同郷人も工部大学校の事務方として働いていて、さらに、『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)に出て来る同郷の友人「築山鏘太郎」などがいるからです。
 なお、築山は1980年の『東京化学会誌』第11帙に「本邦製紙ニ関スル事項」、1892年第13帙に「越後地方ノ石油ニ就テ」、1894年第15帙に「砂糖精製講義」などを書いています。
 『神足日記』を読んでわかったことの一つに、維新後の新政府の動向で、薩長土肥の「肥後」・熊本勢の動向がかなりの要点をなしているということがあります。とくに、政治のトップではなく、実務者層をみると、熊本勢がかなり浸透しています。その筆頭は井上毅などですが、神足や築山もそういう下で育ってきた層とみることができます。

(2)私は、神足勝記や御料局の事業と関わるものについて目配りをしている程度のものですが、工業関係では「工手学校」をめぐる動向に関心をもっています。
 明治4年に工部省が設置され、11年に工部大学校ができると、民間の私立系の工学校の先駆けとして工手学校が20年10月にできます。この設立には、神足勝記の同窓生で、知人の巌谷立太郎〔いわやりゅうたろう〕と親しかった栗本廉〔くりもとれん〕が名を連ねています。
 『工手学校』については次のものを勉強しました。 
    

 茅原健『工手学校 旧幕臣たちの技術者教育 」(中公新書ラクレ 2007年6月)です。
 読んでの感想は「やや硬いが、得難い本」です。

(3)日本の民間の工業系の教育機関は、工手学校ができてのち次第にその必要性が認められるようになり、20年代後半から30年代にかけて、今日私立大学の工学部の先駆けになる工業学校の設立が始まります。

(4)この「工手学校」の設立より前に、一つ注目しているものがあります。「私立攻玉社」です。
 攻玉社は明治12(1879)年12月に測量術を教育する学校でしたが、21(1988)年に土木技術の教育を始め、34(1901)年に土木科と建築科を設置して攻玉社工学校になりました。
 まず、御料局で神足たちが測量事業に従事するようになったころに、攻玉社で勉強して入局してくる人が見られるようになります。また、神足の部下の鈴木民作が乞われて出講します。
 さらに、御料地・御料林の事業が進んでくると、大学や農林学校出の林業技術者〔幹部〕と並んで、攻玉社を経て技術雇員や技丁〔現場の技術者〕として入局してくる人が見られるようになります。

(4)やや専門的になりましたが、御料地・御料林の経営ということも、工業技術の発展やその教育ということを踏まえないと本当のところは解明でないと思われる重要な環なのですが、なかなか手が回らず、です。
 まあ、一般に財政は、今のことでも、昔のことでも、多くの分野と関わる複雑な学問分野です。「皇室財政」も、この呼称の是非はともかくとして、一応は「財政」と名がついていますから、やる以上はその覚悟が必要です。それだけでなく、情報公開法制定前は公文書が見られなくて難儀しましたが、情報公開法によって誰でも公文書を見られるようになった今は、その膨大さが大変なものです。
 それでも、あと20年あれば片付くでしょう。問題はそこです。
 では、今日はここで。

    
     あしただね!

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