神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.265 瀧川事件 

2024-08-18 00:42:43 | 時評
(1)山の遭難事故が多発しています。他人事ではありませんから、ニュースは注意して見ますが、「滑落して死亡」という状況報道だけのことが多く、本当の事故原因は不明なことが多いですね。
 はっきり言って、カネと時間さえあれば、ほとんどだれでも2000~3000m級の山に登れます。そして、ステーキをたべながらバッハを聴いたり、ピアノが弾けるところもあります。山小屋もそういうニーズに答える経営を迫られている実態もあるようです。
 でも、結局は自分です。お互いに気をつけましょう。
 山は生きて帰ってこそのものだねです。

    
     きょうの月

(2)きょうは、21:00からNHKスぺシャル「「一億特攻」への道」を見ました。
 4000人もの20才前後の人が、成績で選別されて?、最初は主にフィリピンなどでの戦闘のために、のちには沖縄戦をめぐって特攻に投入され、最後は、戦闘機の製造が間に合わないために練習機で、ムザムザ死地に追い込まれたそうです。しかも、無謀な戦争を有利に終わらせるために「一撃を与える」という戦争政策のために、です。

(3)番組では、特攻で亡くなった人の中に「結婚後まもなく」という人がいたことが取り上げられてました。
 ご遺族がツー・ショットの写真を紹介されると、ディレクターが、「この奥さんはその後どうされましたか」と問うと、「自決しました」と苦しそうに答えました。。
 
(4)ちょっと話が飛びますが、きのう紹介した昭和30〔1955〕年以降のマンガ・テレビ番組で「正義」という言葉がよく使われてました。正義の味方とか、ですね。これはよく知られていますが、歌謡曲などでも非常に多くの恋愛ものが歌われ、ドラマ化もされました。そこには、青春を歌うとか、古いものに苦しむ姿を描くとか、封建的なものから決別するなどの気風が感じられるところが多々ありました。
 なぜ、このころの新しく起きてきた日本の文化がこういう傾向を持ったのか疑問に思ったことがありましたが、これは、戦前・戦中に青春時代を過ごしてきて、しかも自分たちは実現できなかった層〔我々の親の代、大正~昭和初期の人たち〕が理想を、子の代である我々に託したものかもしれません。
 一部には軍歌を歌って「ゆがんだ青春の傷」をなめ合っていた人たちもいましたが、やはり、大半は自由で明るい青春の方を選んだということでしょう。

(5)それから、23:00からNHK「ETV特集 昭和天皇・秘められた終戦工作」を見ました。
 これについては、「天皇の決断の遅さのために国民に多大の犠牲を強いる結果になった」という従来の味方の深化、と思いましたが、同時に、自分の御料地問題との関係では、「天皇が主権者で、神聖不可侵」というところが問題視されないところに疑問を感じました。
 つまり、天皇は主権者だけれども不可侵〔無答責〕の建前をとる、言い換えると、天皇は自分で任命だけしてあとはお任せ。しかも、行政・外交・軍事とバラバラ。こういう状態は、任命されたものが、自我や組織のエゴを発揮しないうちは収まりますが、ひとたび混乱し始めれば、だれがその責任をとるか、だれが収集するのかということになります。

(6)じつは、私の専門の皇室財産がそうです。
 皇室財産は天皇の所有です。しかし、たとえば、御料地の境界問題などで係争に発展すれば裁判になります。その時に、その土地の境界について所有者である天皇が裁判所に出廷するかというと、もちろんそういうことはありません。天皇は、民間との係争〔利益を争うこと〕には関わりません。ではどうするかというと、宮内大臣をその代表者とする財団に委託して、その財団の代表である宮内大臣がその民事などの責を負うということになります。
 御料地の所有者は天皇ですが、天皇には民事上の責任が及ばない〔及ばせない〕、つまり、天皇は所有者ですが、その問題から生ずる問題には無答責=不可侵、民間と争うわない。問題が生じれば、最終的には、任命された宮内大臣が責任を負うわけです。
 結果として、皇室財産問題で宮内大臣が出廷するような事態はありませんでしたが、昭和天皇が、宮内省が御料林を所有する必要があるかを「下問」したというようなことはあります。自分のものだとされていながら、自分が持つ必要があるかと問う事態は、やはり日本の戦前の体制の問題点です。

【コレクション 60】
 きょうは、『瀧川事件 記録と資料』です。
    
 
 大きさはB5判で、B4を二つ折りした4㌻です。
 1㌻ 上掲
 2~3㌻ 推薦のことば 佐藤幸治 京都大学名誉教授
      本書内容と内容見本
 4㌻ 内容見本と装丁見本
    刊行案内 B5判 868㌻ 定価1万円 世界思想社 
 この本は、上記1ページにあるように、「当時の朝日新聞による記事を中心に」瀧川事件の全貌に迫ることをめざした本です。
 最近の日本では、菅政権の時に、学術会議員の任命の問題で政府の干渉がありました。
 戦前も今も忘れてはならないのは、「学問の自由」や「大学の自治」について行政からの干渉があるときは、それは政府が邪魔だと感じたときだということです。
 治安維持法などによる自由な言論の弾圧が、あの戦争を許した背景だったということです。 
 ではここで。

    
     きょうの西の空

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