きのうのフジコ・ヘミングさんの特集のこと、きょうも思うところがありました。
思ったのは、「不遇の時にも努力してきたから結果がでたのに、結果が出たことでかつての日々に陽が当たる」ということです。本当は、結果に関係なく、努力は努力として注目されるべきなのに・・・。転倒といえば転倒ですね。
(1)きょうは笠取山から雁坂峠をたどったところを書きます。まず地図を載せましょう。
昭文社:『山と高原地図 奥秩父1 1991年』
まず、笠取山は、東京都・埼玉県・山梨県の3県に跨る雲取山の西方(直線距離約12km、徒歩約10時間)にあります。北は、埼玉県秩父、南は山梨県丹波山村です。
私は、1991年12月30日に、中1の息子を連れて、奥多摩駅からバスで「お祭」まで行き、下車して「後山林道」を2時間歩いて「三条の湯」泊。翌日31日、稜線まで2時間、のち10時間歩いて笠取小屋迫。92年元旦を笠取小屋で迎えて、雁坂峠まで4時間歩き、息子と相撲を取り、山梨県側にある広瀬湖近くのバス停まで3時間歩いて、塩山駅に出て帰りました。
(2)なお、『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』日本林業調査会(J-FIC)の解題(14ページ)に取り上げましたが、第3回の巡回の時に群馬県から秩父に入り、栃本―雁坂嶺ー大藤村とたどっています。上の地図でいうと、左上の箇所を北〔埼玉県側〕から南〔山梨県側〕にたどったことになります。
なお、私は、雁坂峠の埼玉県側を歩いたことがありませんが、山梨県側は、後日、一人で塩山駅から上がり、甲武信岳ー国師岳ー金峰山ー瑞牆山と縦走し、韮崎駅から帰ったことがあります。
(3)つぎのものは、笠取小屋を出発して、笠取山の下の水干〔みずひ〕を経て、急登のある雁峠の付近から撮ったものと思われます。
中央に富士山、左が笠取山です。
(4)この後、しばらくしてご来光が見られました。
ただ、上の場所で待っていて撮ったものではなく、いくらか移動してから撮ったようです。残念ながら、富士山が入ったのは残っていませんでした。
(5)つづら折れのある雁峠付近を通過すると、あとは稜線歩きです。もちろん雪がありましたが、朝のうちのことで雪が硬かったので、かえってアイゼンの必要もなく上がって行けました。
10時頃に雁坂峠に着きました。
次の写真は、峠から山梨県方面を見たものです。
谷筋の左上に富士山が薄く見えます。
右側に人が立っていますが、往年のスターです。この人の左にあるやや尖った山が「黒金山」、右の高いが「国師岳」のようです。
(6)なお、黒金山は上がってませんが、やや南のにある「乾徳〔けんとく〕山」には上りました。上の方が洗濯板のように浸食されたけわしい山でした。
それから、この一帯の尾根の南〔山梨県〕側は御料地にも関わる林業地で、下にある西沢渓谷には、20代頃に乗った時には、森林鉄道の軌道跡が登山道になっていて、そこには鉄路がまだ残っていました。
埼玉県側については、後日のこととしましょう。
今日はここで。
シャクナゲ
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