朴
どうもここ何日かいけません。
あれこれと見直したり読み直しているうちに、楽しくて楽しくて時間がどんどん過ってしまいます。
ベートーベンの『運命」みたいに、「ジャジャジャジャーン」と始まったらそのテーマをどんどん展開できるとよいのですが、もともと人に何かを説明したいと思っている方ではないので、なかなか書くまでに至らないんですね。
オット、今日は仙台の地理・経済について述べたもの3つを紹介しましょう。いずれも核心部分のみ引用します。
(1)まず、本多利明の『経世秘策 後編』(岩波書店『日本思想体系』72ページ)です。
「阿武隈川通り、所々にある大岩を焔硝仕掛けの地雷火を用〔もちい〕反割
〔はねわり〕て、川船石巻港へ通用するに於ては会津、長沼、白川辺所々よ
り石巻まで70余里・・・略」
これは、阿武隈川の大石を火薬で砕けば、荒浜港から(明治18年に完成する)貞山堀を通って仙台につながる。さらに仙台から松島湾をへて(明治20年に完成する)東名運河を通過して鳴瀬川河口の野蒜〔のびる〕に出て、(明治15年に完成する)北上運河を経て石巻港に出ると、北上川水系で盛岡までつながる。そして、猪苗代湖と阿賀野川をつなげれば、日本海側と太平洋側、そして内陸の盛岡まで太平洋の荒波を避けてつなげられる、という考えです。
(2)つぎは、明治9年の松方正義の演説です(『公爵松方正義伝 乾巻』758~762ページ)です。
「・・・陸羽地方は米穀、生糸、牛馬、鉱山、海産物の5者に富んでいる。宮城
県の地勢たる・・・奥羽の中心に在りて、四通八達、水運には北上、阿武隈の便
あり。・・・野蒜港を開き、陸羽地方の物貨の輸出入を支配せしめんとしつつあ
る。・・・北海の開拓果たして奏功し人民の数亦能く増殖するの盛事に遭はば、
本県の如きは実に日本の中央・・・。人口固より希少、土地固より荒漠である
が、・・・牧場を開き、・・・開拓をなす等、従来の人力に換ふるに機械の力を以
てせば、その成功の遅速難易果たして如何ぞや。」
要するに、陸羽は物産等に富んでいる。宮城県はその中心地で、交通の便も良い。北海道の開拓が進めば、日本の中心になる。人口が少なく土地も未開拓だが、機械力をもってすれば問題ない、というものである。
(3)最後は、前回紹介した仙台建都の建白です。これは明治14年12月に山形県の開鉱人・信太歌之助によるものです。
「・・・岩代以北・・・沃野膏土接し、動物植物・・・自ら繁殖し、金銀鉄美玉宝石鉱
処々に散布し全国の宝庫なるも・・・、開運に遅れ、庶民稀少にして陋習脱する
を得ず。」明治維新後「民地開発物産増殖答駸々として真に驚くべき進歩の
情あるも自然の徳化風俗の改良にいて猶憾む所あるを免れ ず。・・・北京創
立の説をなす所以なり。」
信太は、宮城県から依頼されて県内を跋渉して桃生郡〔ものうぐん〕にきて、ここの地の利を知ったといいます。大久保利通が遷都を進めたのと同様の理由で提案するのだが、建都できなければ、離宮だけでも、開化や物産富饒につながると述べています。
さて、3人だけですが、こういう意見が御料地選定の際にどのように働いたのか、まだ課題としておかなければならないのだと考えます。そもそも誰が選定したのかさえ分かってないのですから・・・。
「おい、トゲ大丈夫か」って言ってやったら、
こういうカッコになりました。
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