最近の
事務次官の息子さん事件については
現代社会の病根を示す
絶望的な事件として
多くの人々が心を痛めていることでしょう。
家族さまは
ゲームに明け暮れる息子さんを
自立させ
何らかの仕事に就くことを促し
心配し
焦ったと思います。
しかし
古来
社会には
一定の割合で
穀潰し系の人々が存在し
家で遊んで暮らす人々を
柔かく包摂していたのです。
芸術文化、学問宗教に携わる人々も
穀潰しといえば
穀潰しであります。
マルクス主義的な分析では
社会福祉政策を
資本主義維持、延命のための
穀潰し的な人々への飴である
との対象論があります。
マルクス主義の生産至上主義においては
工業労働者が救済のメインターゲットであり
その過酷な労働による疾病(健康保険)
短い現役と長い老後に対する年金
不安定な雇用に対する失業保険が
用意されたので
社会福祉政策そのものは
社会政策の補完であるとされました。
しかし
事務次官さまのファミリーは
お兄様一人ぐらい
ゲームをして
遊んで暮らしても良いはずでした。
なので
穀潰しでも
だめ人間でも
大らかに家族や地域で
過ごせばどうでしょうか。
社会に貢献せんなんという
強迫観念は要りません。
私は
何ら社会貢献しておらず
社会に迷惑を掛けてきました。
すなわち
社会福祉本質論における
穀潰し対象論は
その意味で
近代社会の不寛容さを表す
謬説であり
穀潰しな人々を肯定し
道徳で裁断することのない
多様性社会を復活すべきです。
そのファミリーに富があり
一人二人養うことが
出来るなら
堂々と
穀潰し的なライフスタイルを
生きれば良いです。
賃金労働が
全てではありません。
高齢者でも
車椅子な移動でも
寝たきりで意識が無くても
専業主婦でも
芸術家でも
音楽家でも
ふーてんでも
何でも生きていれば
良いのであります。
おわり
高橋記(ケアマネ・社会福祉主事)