An Old Fashioned Christmas *☆* The Carpenters
Cantos gregorianos - Monjas benedictinas ( MUSICA CELESTIAL en 27 minutos )
きのう
なんとなく
アジールとしての川や市のはなしを
しました。
家族や地域、村
宗教といった
伝統的なコミュニティーも
アジールの役割を果たすと
思います。
あるいは
富山型デイサービスも
ある種
古来からのアジール
聖域の復活を
自ずと為し遂げております。
こどもから
お年寄り
ハンデのある方が
その治外法権的な自由な場に集い
歌い
芸能を為すサンクチュアリ。
そこは
作業所ではなく
労働の場ではありません。
遊びと
癒し
非日常
ハレ
交換と交流の場であります。
近代資本主義
その肥大化した
産業と金融は
いずれパンクするでありましょう。
その近代の剛直と強大は
脱近代の
脱力と柔弱に取って替わられるでしょう。
賃金労働ではなく
個人の才覚を殊更に際立たせることもない
コミュニティーによる資産管理。
贈与と寄付による
富の形成と分配。
そのコミュニティーに
なまくらな
のび太君を内包し
病気や怪我をしても
生活し
医療や看護、介護を受けられる
コミュニティーとしてのホスピタル。
すなわち
個人世帯ではなく
何らかのコミュニティー
カンパニーかソサイエティー
ファミリー
村単位での
納税に絞るべきです。
所得税を止めて
法人税と消費税だけにすべきです。
個人主体の
社会保険制度
年金、医療、介護、労働保険を
止め
税に一元化すべきです。
公益法人
民間公益を伸長するためには
今の
社会保険制度を止めて
寄付と贈与による
コミュニティーを形成すべきであります。
近代の行政区画の
市と町でなく
村と県(藩)による地方行政とし
村は
小学校区
公民館の単位であります。
何れにしましても
新たなアジールの形成
村の再興と
地域助け合いのシステムは
現在の
枝葉末節な
小賢しい議論では
解決案は
出てきません。
人類学
民俗学
経済学
そして
社会福祉の本質論に
遡及せねばなりません。
社会福祉の本質とは
近代資本主義の論理とは
全く異なるコミュニティーを志向します。
とは言え
個人の富を
国家や世界政府といった大きな社会に併呑しようとする
あらゆる近代社会主義の
全体主義、集産主義のコミュニズムとも異なります。
小さいコミュニティーの復活
ゲマインシャフトの再興こそが
社会福祉の本質であります。
おわり
高橋記(野望:アジールとしての公益法人の伸長)