日時:12月12日
内容:荒天のため冬休み。研究と思索。
感想:
ユダヤ人は
なぜ金融業を始め
近代資本主義を創発したか。
ウエーバーの
プロテスタントの倫理(勤勉と運命への諦観)が
近代資本主義を創発したという説は
あまりにも無理があり
現実には
農業共同体から排除されたユダヤ人が
やむを得ず
お金貸しを始めたのが
近代資本主義の始原でしょう(ゾンバルト)。
ではなぜ
ヨーロッパで
ユダヤ人が迫害、差別されたかといえば
カトリック世界とは異質な宗教的世界観、ライフスタイルを
堅持していたからです。
おそらく
大衆は
宗教的教義の違いではなく
見かけ、シナゴーグや黒い帽子などに
違和感や恐れをなしたに違いなく
あとは集団同調圧力による差別でしょう。
しかし
宗教的指導者、知的エリートは
アウグスティヌスの教父哲学やトマス・アクィナスの公認神学によって
理論的にユダヤ人差別を容認してきたことは否めず
むしろ
現代の神学者、指導者がその誤謬を明らかにすべきです。
いずれにせよ
ヨーロッパで孤独を感じ
同化できない寂しさが
金融資本主義と格差奴隷社会の首魁
マルクスの世俗的共産主義、ベルンシュタインの社会主義
世俗的祖国回帰運動、シオニズムを招来し
近代社会の不幸と争いの一つの要因になっております。
ただ
それは
近代の不幸の一つの要因に過ぎず
あくまで
個人の生き方、考え方が
基底的に重要であります。
つまり
今日のウクライナやイスラエル、パレスチナ戦争も
政治や軍事の前に
そこに住んでいる人々が
真面目に朝晩祈りをし
教会、シナゴーグ、モスクに通っていたのか疑問である
という点です(たいへん申し訳ないですが図星だと思います。これから日本と東アジアが平和であるか否かも、この点にかかっていると思います)。
昔の日本が
大東亜戦争の時に
政治家や軍部、メディアや大衆が
アジアの盟主だと思い上がり
勘違いして
各々の仏前勤行をおろそかにして
日々のお祈りに魂が入っていなかったに違いない
というのが
わたくしの説です。
要するに
社会の前に個人であり
社会貢献のまえに自分の改心
治国、平天下の前に修身、斉家ということです。
パレスチナ問題に関心を持つのは良いですが
ユダヤ人側、アラブ側といった政争は無意味ですし
まして
政治的、宗教的テロリズム、原理主義は
何の解決にも繋がりません。
終わり
高橋記(社会事業の前にお祈りをしたほうが良い説)