Ennio Morricone, Love Affair
だんだんおかしな国になってきました。
ぼくが
東北大震災のときに思ったのは
灰の水曜日を過ぎた四旬節に入ったとき(償いや節制の期間)
東北の善良な人々が
先に天に召されたのではないか
ということです。
つまり
これから
地獄絵図、修羅の世になるのだと
思ったのです。
その通りでした。
人心の荒廃は
著しいです。
解決策はあるのか。
全てを裁き
正義を実行するのは
神様だとしても
人間にも出来ることはあります。
それは
凡事徹底であります。
質朴たる
地味な行いであり
テオーリアな
時空を超越した
観照のひとときを大事にすることです。
おわり
高橋(尊敬する人:聖リドヴィナおとめ)
ぼくが
東北大震災のときに思ったのは
灰の水曜日を過ぎた四旬節に入ったとき(償いや節制の期間)
東北の善良な人々が
先に天に召されたのではないか
ということです。
つまり
これから
地獄絵図、修羅の世になるのだと
思ったのです。
その通りでした。
人心の荒廃は
著しいです。
解決策はあるのか。
全てを裁き
正義を実行するのは
神様だとしても
人間にも出来ることはあります。
それは
凡事徹底であります。
質朴たる
地味な行いであり
テオーリアな
時空を超越した
観照のひとときを大事にすることです。
おわり
高橋(尊敬する人:聖リドヴィナおとめ)
星影のワルツ 北朝鮮版 Japanese Enka Song North Korean Version
Call of the Faraway Hills (Theme from Shane)
来週の「直虎」は
ついに
築山殿と信康公が
信長公に処分されてしまう話のようです(魔王のいけにえという題)。
私個人は
この場面が最も興味深いところの一つであります。
司馬遼太郎氏の「覇王の家」でも
その場面の描写が独特でした。
奔放な家康公の正室である築山殿と
知勇に秀で
将来を嘱望されていた二代目が
鬼神の信長公によって滅ぼされる事態は
どのように描かれるでありましょうか。
ある意味
大津皇子のような感じでもあり
単に
才覚だけでは
天下が執れるものではないという感じがします。
おわり
高橋記(尊敬する人:持統天皇)
ついに
築山殿と信康公が
信長公に処分されてしまう話のようです(魔王のいけにえという題)。
私個人は
この場面が最も興味深いところの一つであります。
司馬遼太郎氏の「覇王の家」でも
その場面の描写が独特でした。
奔放な家康公の正室である築山殿と
知勇に秀で
将来を嘱望されていた二代目が
鬼神の信長公によって滅ぼされる事態は
どのように描かれるでありましょうか。
ある意味
大津皇子のような感じでもあり
単に
才覚だけでは
天下が執れるものではないという感じがします。
おわり
高橋記(尊敬する人:持統天皇)
今年も
あと2か月となってしまいました。
せんなん業務が山積し
皆様にご迷惑をかけ続けておりますことを
ここに深くお詫び致します。
行政関係の報告書等が
遅滞しており
如何ともし難い状況であります。
しかし
何としても
やらんなんと思っています。
ときに
陰謀論の系譜に連なる著作が
徐々に公民権を得てきているようです。
最近
「維新の悪人たち『明治維新』は『フリーメイソン革命』だ!」船瀬俊介著(共栄書房)
という本を
富山の中田書店で発見しました。
宇野正美氏や
赤間剛氏といった懐かしい論者を思い出しました。
ただ
陰謀論の皆様は
断定が多すぎることが難点です(変な新興宗教のようなノリに陥っている人も散見される)。
真実は
口伝律法の如く
文書に残されるとは限りません。
新約聖書も
はじめは弟子たちの口伝えの伝承であったのです。
つまり
陰謀論者の皆様が
何らかの確証的な証言を得たとしても
私はこう思うという推測、推理までを述べるに止めることが
智慧であります。
何れにしましても
真実とは
ほとんどの人にとって
不都合なものであります。
おわり
高橋記(好きな言葉:時によって露わにされる真実)
あと2か月となってしまいました。
せんなん業務が山積し
皆様にご迷惑をかけ続けておりますことを
ここに深くお詫び致します。
行政関係の報告書等が
遅滞しており
如何ともし難い状況であります。
しかし
何としても
やらんなんと思っています。
ときに
陰謀論の系譜に連なる著作が
徐々に公民権を得てきているようです。
最近
「維新の悪人たち『明治維新』は『フリーメイソン革命』だ!」船瀬俊介著(共栄書房)
という本を
富山の中田書店で発見しました。
宇野正美氏や
赤間剛氏といった懐かしい論者を思い出しました。
ただ
陰謀論の皆様は
断定が多すぎることが難点です(変な新興宗教のようなノリに陥っている人も散見される)。
真実は
口伝律法の如く
文書に残されるとは限りません。
新約聖書も
はじめは弟子たちの口伝えの伝承であったのです。
つまり
陰謀論者の皆様が
何らかの確証的な証言を得たとしても
私はこう思うという推測、推理までを述べるに止めることが
智慧であります。
何れにしましても
真実とは
ほとんどの人にとって
不都合なものであります。
おわり
高橋記(好きな言葉:時によって露わにされる真実)