Pope Leo XIII, January 4, 1896 - First Time a Pope Appeared on Film
日時:9月26日
内容:休養日。地域ケア推進事業。
感想:
社会的平等を
国家や超国家が為すという
集産主義の建前は
全体主義の口実です。
むしろ
社会的格差を前提とした
ベーシックインカムを制度し
社会保険制度を止め
社会保障は
税に一元化すべきです。
そして
学校、病院、社会福祉事業は
広義の公益法人に限定した上で
民営化すべきです。
今の社会福祉事業等は
国家の事業を社会福祉法人等が行っているだけで
民営化していません(財源、主体)。
診療報酬、介護報酬などの固定価格は
国家主義、共産主義であります。
年金保険等は
民間の保険会社に任せるべきです。
公益法人は
免税とし
寄付金控除等を発展させるならば
民間公益部門が伸張し
自主財源で経営できます。
公共部門を
政府、自治体への税金と
公益法人への寄付により運営し
徐々に減税し
公益法人への寄付を増やしていきます。
それは
市場化テストであります。
自治体や政府の事業も
いずれは
公益法人が運営しうる規模とオペレーションに
収斂するなら
天皇親政が可能となり
君臨し統治する王道が
顕在します。
おわり
高橋記(王政復古の小提案)
内容:休養日。地域ケア推進事業。
感想:
社会的平等を
国家や超国家が為すという
集産主義の建前は
全体主義の口実です。
むしろ
社会的格差を前提とした
ベーシックインカムを制度し
社会保険制度を止め
社会保障は
税に一元化すべきです。
そして
学校、病院、社会福祉事業は
広義の公益法人に限定した上で
民営化すべきです。
今の社会福祉事業等は
国家の事業を社会福祉法人等が行っているだけで
民営化していません(財源、主体)。
診療報酬、介護報酬などの固定価格は
国家主義、共産主義であります。
年金保険等は
民間の保険会社に任せるべきです。
公益法人は
免税とし
寄付金控除等を発展させるならば
民間公益部門が伸張し
自主財源で経営できます。
公共部門を
政府、自治体への税金と
公益法人への寄付により運営し
徐々に減税し
公益法人への寄付を増やしていきます。
それは
市場化テストであります。
自治体や政府の事業も
いずれは
公益法人が運営しうる規模とオペレーションに
収斂するなら
天皇親政が可能となり
君臨し統治する王道が
顕在します。
おわり
高橋記(王政復古の小提案)
日時:9月25日
内容:休養日。地域ケア推進事業。
感想:
フランスやロシアの王権は
奢侈に堕落し
民心や
危機管理能力を失って
革命が起こりました。
その陰謀の主体が
フリーメイソンリーであれ
共産党であれ
ルシファーであれ
政治と宗教が
まつりごとを十全に果たさず
大衆が
嫉妬と憎しみを
王権と聖権に抱いたことが
近代革命の遠因です。
現下の日本において
一般大衆は
政治や皇室に対する
信用を失墜し始めております。
しかし
天下国家の仕事を為すならば
自ら質素倹約し
悲田院的な社会事業を為すのが
天皇やお上の役割です。
単なる象徴として
名誉職に就き
お言葉を述べるだけでは
天皇家、皇室の存在理由がないです。
天皇を国家元首と為し
明確に
皇室に公益事業を担って頂かねば
民の怨嗟の声は
止まないでしょう。
小室圭氏と眞子様におかれましては
現実にNGO的な仕事
国連や外交や世界平和の仕事に携わって頂きたいと
存じます。
ただ
法律実務ではなく
神学、哲学、政治学的な
学術系の博士を目指した方が
小室氏のキャリアには
役立つと思います(名参謀がいないと推察されます)。
おわり
高橋記(自ら張良、呂尚に喩ふ)
内容:休養日。地域ケア推進事業。
感想:
フランスやロシアの王権は
奢侈に堕落し
民心や
危機管理能力を失って
革命が起こりました。
その陰謀の主体が
フリーメイソンリーであれ
共産党であれ
ルシファーであれ
政治と宗教が
まつりごとを十全に果たさず
大衆が
嫉妬と憎しみを
王権と聖権に抱いたことが
近代革命の遠因です。
現下の日本において
一般大衆は
政治や皇室に対する
信用を失墜し始めております。
しかし
天下国家の仕事を為すならば
自ら質素倹約し
悲田院的な社会事業を為すのが
天皇やお上の役割です。
単なる象徴として
名誉職に就き
お言葉を述べるだけでは
天皇家、皇室の存在理由がないです。
天皇を国家元首と為し
明確に
皇室に公益事業を担って頂かねば
民の怨嗟の声は
止まないでしょう。
小室圭氏と眞子様におかれましては
現実にNGO的な仕事
国連や外交や世界平和の仕事に携わって頂きたいと
存じます。
ただ
法律実務ではなく
神学、哲学、政治学的な
学術系の博士を目指した方が
小室氏のキャリアには
役立つと思います(名参謀がいないと推察されます)。
おわり
高橋記(自ら張良、呂尚に喩ふ)