砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

「ヘッド博士の世界塔」再考 その①

2017-05-12 10:21:39 | 日本の音楽

おばあさん、おばあさんの耳はずいぶん大きいのね!
―それは音楽をじっくり聴くためだよ
おばあさん、おばあさんの手はこんなに大きかったかしら!
―そうでないとメガデスやクリムゾンが弾けないからね
おばあさん、おばあさんのブログの更新時間!平日の昼間だからびっくりしちゃったわ!
―そうとも、平日の昼間はね・・・
おばあさんはゆっくり頷いて言いました

―仕事が暇だからだよ!!!!


なんのこっちゃ。
というわけで今回はThe Flipper's Guitarの最後の作品で、最高傑作でもある『Doctor.Head's World Tower ―ヘッド博士の世界塔―』を取り上げてみる。彼らの一番の問題作(何しろ無断引用のオンパレード)で、元ネタの方は他のサイトでさんざん検証されているから、あくまでこのアルバムにまつわる個人的な思いとか音楽の感想を述べたいと思う。


その前に、フリッパーズギターを「誰それ?」とか「全然知らない」って人向けに具体的な情報を少し。The Flipper's Guitarは小山田圭吾(Vo/Gt、現Cornelius)、井上由紀子(Key)を中心に結成され、のちに小沢健二(Gt)などが加入し5人組のバンドとなった。最初のアルバム『海へ行くつもりじゃなかった』は、小山田の英語は上手でないものの、当時の海外のネオアコ(Aztec Camera、Pale Fountainsなど)をもろに受けた、全曲英語詞のさわやかMAXでお洒落密度の高い佳作である。真偽のほどは不明だが海外でちょっと評判になったという話を聞いたこともある。そのあと小山田と小沢の2人組となり、1990年には代表曲「恋とマシンガン/young, alive, in love」が入ったアルバム『Camera Talk』を発売、続く1991年にこのアルバムが発売されたあとには全国ツアーを予定していたが突如解散となりコンサートもすべて中止(ひどい話である)、その後は2人ともソロで活動していくこととなった。


2枚目の『Camera Talk』もずいぶんたくさん「元ネタ」から引用されていたが、本作はもっと露骨にサンプリングされている。なんてったって冒頭の「Dolphin Song」はThe Beach Boysの「God only knows」そのままだし、その他にも(略)もそうだし(略)もそのまんまだし(以下略、詳細は他のサイトをご参照あれ)。
前作『Camera Talk』はずいぶんいろんなヴァリエーションの曲が詰め込まれていて、カラフルな印象を受けた、なんていうかきらきらしていた。しかしこの『ヘッド博士の世界塔』では、決して単調なアルバムではないのだけれど、どこか虚無感があるというか「諦めモード」なのだ。最後の曲「The World Tower」に至ってはやけっぱちにすら感じられる。「もういいよ、俺たちが知りたかったことは結局わからずじまいで、どうせ死んでいくからもういい。ほっといてくれ」なんだかそんなことを言っているように聞こえる。

前作からも似たような流れはあった。アルバムの最後の曲『すべての言葉はさよなら』では明るい曲調のなか

―わかりあえないってことだけを わかりあうのさ

というような、ちょっと気の利いたというか、「お前らまだ20代前半だろ!」と言ってひっぱたいてやりたくなるようなフレーズが歌われている。その流れでこうなったとも考えられるけれど、なにもここまで虚無感を漂わせることなくない?(なくなくなくなくなくSay Yeah?)前はもっと恋とか愛とかオムレツ焼いたりマッチョマンに対する嫉妬を素直に歌ったりしていたよね?と思ってしまう。どうしてこんな変化が起きたのだろう、と思わざるを得ない。

もちろんこうした背景には、小山田と小沢の2人のあいだに生じた確執みたいなものがあったのだろう。音楽のことなのか、人間関係なのか。女性をめぐるトラブルがあったという噂も聞いたことがあるけれど、どこまで本当かわからない。
あるいは、彼らの歌詞から推測するならば

―本当のことを隠したくて 嘘をついた 出まかせ並べた やけくその引用句なんて!「恋とマシンガン」

と以前には歌っていたけれど

―シュールな物言いでかわそう ゴール目指すなんてやめよう「Going Zero」

と今作の歌詞にあるように、今の(嘘ばかりついてわかったようなことを言っている)ままじゃ行き止まりで、結局何にもなれやしないんだと、どこかでそんな風に思ったタイミングがあったのかもしれない。あくまで推測の域を出ないのだが。


難しい話はさて置いておいて、ここから個人的な話。フリッパーズギターのアルバム3枚を聴き比べたとき、他の2枚も個性豊かで決して嫌いではないんだけど、やっぱりこれが一番いいと思うわけですよ。色褪せない。2作目の「カメラ・カメラ・カメラ」はギターverだと格好いいけど、アルバムに収録されているものはちょっとシンセの音色が古い気がするし、「午前三時のオプ」もメロディラインは好きだけど、後ろでなっているホーンのアレンジに時代を感じてしまう。でもこのアルバムは音がいつまで経っても新しく聴こえるというか(もちろん引用されているネタはそれなりに古いはずなんですが)。とにかく、こういうものが90年代の初頭に出たっていうのがすごいですよね。

私が最初にこのアルバムを聴いたのは社会人になりたての頃です。仕事が嫌だな、辛いな、もうどうしたって面倒くさいな、と思いながらバスに揺られてよく聴いていたのですが、上述したようにアルバム全体を流れる通奏低音のような「諦めムード」にある種救われていた部分もあったように思います。「ゴールなんて目指したくないけど、働いちゃってるしもうやっていくしかないよな、このまま」みたいな風に拡大解釈(?)して。
どこか虚しいし力が抜けているんだけど(曲の完成度はめちゃくちゃ高いですが)、でも聞き終わったあとは不思議な余韻が残る、そんな名盤なのではないかと思います。個人的にはワウがかかったギターが特徴的なM2「Groove Tube」やM4「Going Zero」、それから最後のM9「The World Tower」が好きです。特に「The World Tower」は逆再生したりもう一度イントロ部分に戻ったりとしっちゃかめっちゃかな構成なんだけど、途中でサン=サーンスの組曲『動物の謝肉祭』の一部で「象」が挿入されているのもポイントが高いですね、自分にとっては思い出深い曲なので。それにしても何でこの曲にしたんだろ。


気づいたらかなり長くなったので、また改めて考察するとしよう。
この件に関してはすぐにゴールを目指すのはやめないと思う。

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