砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

cero「My lost city」

2017-05-16 10:33:05 | 日本の音楽


I have nothing to do without writing my blog.
OMG,WTF. I feel so Paaaaathetic!!

Today, I wanna pick up "cero", Japanese city pop band.
Their 2nd Album is "My lost city", which is named after the same title essay written by S.FitzGerald.
I like their exotic music and mysterious lyrics, so I try to tell you their attractive points.


はい限界(語学的な意味で)。
多少の文法的な誤りには全身全霊で、心頭滅却して目をつぶっていただきたい。
えっ、どうしてできもしないのに英語で冒頭を書いたのかって?
それは仕事がひm(ry
はっはっは、剣呑剣呑。

さて今日は、最近の日本のポップシーンで重要な存在になりつつあるcero(セロ)の2ndアルバム『My lost city』について話したいと思う。
このごろ彼らは「ご本、出しときますね」という番組のBGMで使われていたり、SMAPが解散する直前のスマスマに出演して「Summer Soul」を歌ったりとメディアでの露出がにわかに増えているが、どうしてこんなに急に売れたの?という感じがしているのは私だけだろうか。

正直に言って私はこのバンドの歴史をあまり知らない。2011年の東日本大震災が起きたあと「大停電の夜に」という曲が発表され、ネット上でちょっとした話題になったことは知っていた。だけどその時にはぐっと来なくて、へえ最近のちょっといい感じのバンドなのねくらいにしか思わず、1stアルバムの『WORLD RECORD』はちゃんと聴かずじまいだった。当然2作目も聴いていなかった。
それからしばらく時間が経って、たぶん3枚目の『Obscure Ride』がまだ出る前のこと。友達の家で酒を飲んでいる時に、たまたま「Summer Soul」を聴いて私のもとになにかがびびっと来たのである。そして後日レンタルCDショップに駆け込みCDを借りようとしたものの、ちょうどこのアルバムしか置いていなくてとりあえずこれを借りたのだった(気に入ったので後日ちゃんと買った、もちろんその後Obscure Rideも買った)。


このアルバムについて。1枚目のような素朴さはなく、3作目のような乾いたクールさもない。どちらかというと湿度が高い感じがある。それはたぶん「雨」や「波」といった水に関する言葉がちりばめられているのもあるんだろうけど、作品にエネルギーが凝集しているというか、全体的に音数が多くて空白、あるいは余白が少ないのもあるのかもしれない。曲はシンプルでポップなものもあれば、M3「マイ・ロスト・シティー」やM6「船上パーティ」などの異国情緒あふれる妖しい雰囲気の曲もある。アレンジは曲単位でかなり異なっている。そのせいか他の作品に比べていい意味でばらばらというか、ちぐはぐというか、そんな印象を受けるのだ。
そして歌詞。この人たちの歌は、ときどきなにを言っているのか、なにが言いたいのか本当にわからない歌詞が多い。

―ちぎれた雲の合間から見える カメラ・オブスキュラ※1 「Cloud Nine」

―わたしを殺す正体が 涙するあなたの鼻の奥に
 わたしの住む街が あなたの笑うそのまなじりに
 わたしの願う世界が あなたの寄せるその眉間に広がっている 「スマイル」


このあたりは一聴しただけではよくわからない、というか何度か聞いてもよくわからない。
とはいえ、すべてが理解できないわけでもない。前作の「大停電の夜に」からの流れを引き続いて

―放たれた家畜とエネルギー 水蒸気爆発
 (中略)
 都市の悦びを支えてるもののタガが今外れた 「マイ・ロスト・シティー」

―あーなんか 一切合切が元通りになったようなこの街 「わたしのすがた」


こんなふうに、震災の余波を感じさせる歌詞が随所にみられる。ただそれらはあくまで「断片的」だ。思い出したかのようにときおり歌に登場するだけで、曲やアルバムを統一してひとつのストーリを形成しているわけではない。

では、この作品の魅力はどこにあるのだろうか?
上述したように、本作における彼らの音楽は実に多様だ。一曲目の「水平線のバラード」はアカペラ曲だし、M9「roof」はサティのピアノとジャズが融合したような曲もあれば、M10「さん!」は跳ねるような歌ものポップソングだし、M11「わたしのすがた」は打ち込みのリズムにヒップホップのような歌が乗っている。それを「多様」と言えばそれまでなのかもしれないけれども、前回取り上げたようなフリッパーズギターのような、つぎはぎ感がある。

1枚目『WORLD RECORD』ではAverage White BandやPenguin Cafe Orchestraが元ネタの曲があるし、3枚目の1曲目はD'Angeloの『VooDoo』の出だしに酷似しているし、おそらく彼らの曲にはいろんなところに「元ネタ」があるのだろう。私はあまり詳しくないから、他の曲にも明確な元ネタがあるのかどうかはわからない。けれど、たぶんいろんなところから仕入れたものを彼らなりに消化して創造した結果、この「つぎはぎ感」が生まれてきているのだと思う。いや、より正確には「ばらばらでつぎはぎだけど、全体としてはポップにまとまっている感」と言うべきか(長くなってしまった、だけど他になんて言えばいいんだ)。

でも今の時代ってそうじゃないか?と私は思う。情報の波は氾濫して趣味や個性は多様化して、なにが「正しい」とか「間違っている」なんて簡単には判断できなくなっている。そういったなかで地震は起きて津波はたくさんの悲しみ、喪失を引き起こしたし、原発はもう個人には手に負えない、考えることのできないような問題になった。われわれはどうしていったらいいんだろう?そんな迷いのあるなかでも、自分たちの方向性を模索しようとした1枚なんじゃないだろうか。とはいえ、その「つぎはぎ感」ゆえに好き嫌いがわかれるアルバムかもしれない。


話がどんどん長くなり、そして言いたいことから逸れてしまっている(ということは自覚している)。
とにかく私が言いたいのは、M8の「Contemporary Tokyo Cruise」をぜひ聴いてほしいということである。
ある意味ceroの魅力が凝集した曲なのだろうな、と思う。
漠然とした喪失感やさみしさ。そしてそれでも前に進んでいこうとする姿がこの歌から感じられるのだ。



※ カメラ・オブスキュラ(カメラ・オブスクラ)とは写真の原理を利用した装置のこと。どうして雲の合間から?なんだろう。何度考えてもよくわからない。

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