すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

すべての問いの消える場所

2019-09-19 | サンガ
天空の城ラピュタで

稲光と嵐が渦巻く ぶ厚い雲の層を突き破ったら
シーーーーーーンと
静かな空に放り出されて
見るとそこに
天空の城が現れるシーンがあるよね


あのシーンが大好き




問いの消える場所がある

そこはちょうど あの雷雲を抜けた空みたいに
クリアに
明快に
景色が見えるんだ


それは
ほんとはいつもここにある


ほんとはずっとここにある



ただ雲がかかって見えなかっただけ



あらゆる問いは
ぜんぶ雲




なにもないところから
フォーカスしたものを
切って貼って繋げて
ぎゅーと圧をかけたら
「問い」のいっちょあがり♪

ストーリーともいう




自分で雲の中に突っ込んでることも気付かないで
翻弄され
右往左往する生き方から

雲を抜けた静寂を知って
雲を雲と認識し
雲に衝突してもなるべく早く脱出できるような
そんな生き方へのシフト


そっちを選ぶ!という意思と
「気付き」があれば
いま
すでに
そこにいる



すでにある静寂に還るのに
瞑想は
いちばん近道だとおもう

もちろん道はいろんな方向から伸びている


すべてのみちはここに 






静寂が私のhome
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月に誓う

2019-09-19 | サンガ
自我はすばしっこいね
自我はぬかりないね
自我は巧妙だね
まったく 自我って
めんどくさいやっちゃね


自我ってなんだろね
自我だってなんだってすべては全体のあらわれだもんね
だけど
自我って幻想だよね


あはは




自我の栄養は
怖れだよね


保身とか疑いとか比較とか執着とかとかとか
そんな硬くて冷たいものの正体はぜんぶ
怖れだよね



自我が騒ぐところにはいつも
怖れありだね


鎧兜、身ぐるみはがしたら
震えてる か細いコドモみたいなやつ




もういいやん

自我があーだこーだ騒ぐんだけどさ


もういいやん!



曇りのない今夜の空みたいなクリアさで
見渡せているときは
力が湧いてくるのに

油断すると
自我は針の穴ほどの隙間から滑り込み
ストーリーを繰り返し検証する
そして
私を被害者に仕立て上げ
私を無力にする
それはぜんぶ怖れが根っこなんだ

その度に引きずり回されるんだけど


もういいやん
私もう な――――んもいらないよ!
(↑所有しないよって意味ね。 欲はあるよ♪)



だって
自我の言いなりは
「他人の目を気にする生き方」に逆戻り
それしか行先はない

あ、自我って集合意識なのかもね







なんてこと思いながら
深夜の犬の散歩


欠けはじめた月が
空高く
煌々と照っていた







月に誓う。






だからわたしもうなーーーーーんにもいりませんからぁ
ただ一つ、
私とだけいれれば。


私が私のこと堂々と好きでいられたら
それだけでいい

 


あとのことは
ぜーーーんぶ
オマケですからぁ


※注釈 「私」と便宜上呼んでるけど違う言い方すれば「今のここにあるこの感覚」(言語化不可能領域)
「体」はそれを知れる(味わえる)素晴らしいシステムだよね。
自我は思考の中にしかいない。ここで言ってる私って肚のほうのひと、、エネルギー 




いつかの十八夜



私が私を喜ばそう
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究極の旅

2019-09-18 | サンガ
これからあめつちWORKSで実家の工房を使うので
最近せっせと片付けに通ってた。
ついでにガラクタ置き場になっていた私の部屋も。


ガラクタの中から
12年前の私が書いた手記(紙切れ)が出てきて
読んでみたら
その内容が
今の私が書いてることと
おんなじやん!って思った

なんだ、ぜんぜん成長してないやん! 

だけど、冷静に読んでみたら
使ってる言葉は同じなんだけど
とても硬い
アタマで書いてるのがわかる。
こうであるべき
こうであるはずー!って


その頃
道を見つけて歩き出したけども

きっとこの方向にちがいない!と確信はあるのだけども

まだそれが「情報」でしかなくて

それを知りたい!
それが解りたい!
そこへ行きたい!
っていう
強烈な憧れがあるのがわかる

手記のほとんどが
きっとどこかで読んだりして
聞きかじったものかもしれない
その言葉が指すものが
どういうことなのかは
肚におちていなかった


そう書くと
じゃ、今はわかってんのか?ってかんじだけど
知れば知るほど
わかるとかわかったとか言えるものではなくて
言葉は真理を表すことは不可能で
ただそれを生きていくのみ・ということだけで
なにをも持ち運べるものなんて、ない。



そういうわけで
私のこの“究極の旅”は
12年前にはもう始まっていたんだなと。

Oshoの「究極の旅」はすごい本だけど
この頃はOshoも阿部敏郎さんのブログも禅も老子も知らなかったし
釈迦もキリストもなに言ってんのかチンプンカンプンだったな




こういうことに強烈に惹かれてたけど
変な人って思われるのがこわいから
このことについて話せる相手は1人もいなかったし
今みたいにブログに書くなんて、
その頃の私が知ったらきっとおったまげるな



12年前の手記のなかで
一枚だけ、少し削ぎ落されつつある文章があったので
載せておこう
とっても硬くて読みにくいけど
私の体を通って出てきた言葉たちだと思うから。
一回書いて消してるところもそのままに




********


内なる私の中心 = 魂

魂の私が対象を発見したよろこびに振動する。
対象と共振している。(=心が動く)
その対象は私の一部であるということを知る。
共振する対象の魂を言語化することは不可能である。
言語化することは硬直した枠にはめこむようなことである。
言語化しようとせず、ただ感じればいいのである。


内なる私(魂の私)は、中心に中心にと向かう方向性と、
外へ無限に広がる方向性とのたえまない運動を繰り返す。
また時にそれは同時に起こる。

対象に固定した認識を持ったり、対象を所有しようとしたとたん
その運動は止まってしまう。
すると、私から見る対象は活きなくなる。
対象が活きていないと 私もまた活かされない。

よって、対象に執着するということは、あるいは対象に固定観念を持つということは
私の魂の、『活(生)きようとする力』を圧迫することになる。

対象を「発見」できたことが喜びなのである。
それはすでに私の一部なのだから。
それは私を発見したことでもあるのだから。

表層の私(=感情)、対象の表層、に とらわれてはいけない。
魂が喜ぶことをしよう。

'07・8/13 (7月朔日)






魂がよろこぶ遊びをしよう
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あめつちのうた

2019-09-17 | あめつちWORKS
屋号を考えていて
「土」は入れたいなと思ってて

つち、つち、、
雨、土、なんかいいなぁ・・
あめつちって検索してみたら
あめつちのことば(天地の詞)っていうのが出てきた 


平安時代の手習い歌(いろはにほへと、みたいなやつね)で
歌自体には意味はなく
48文字を
あめ つち ほし そら ・・・と
同じ字は二度使わないように並べてつくられてます。
(えが2回なのはア行のえ とヤ行のえ なんだとか)



あめ つち ほし そら  天 地 星 空
やま かは みね たに  山 川 峰 谷
くも きり むろ こけ  雲 霧 室 苔
ひと いぬ うへ すゑ  人 犬 上 末
ゆわ さる おふ せよ  硫黄 猿 生ふ 為よ
えの えを なれ ゐて  榎の 枝を 馴れ 居て




出だしが あめつち で
あめが 天
つちが 地
っていうのが気に入った


天から雨が降り
地にしみ込んで
土を潤し命を育てる

雨は地を叩き
岩を削り
川で砕かれ運ばれ
堆積して粘土になる

天から地へと走る稲妻
豊作の兆し🌾


人間は天と地の間で
その循環の恩恵を受け
創造する


天と地をつなぐ虹をロゴマークにしよう


あめつちWORKS

創造しようそうしよう





あめつちWORKSは、佐々と平戸の2拠点です
ぜひ、お近くの あめつちWORKSへ
いっしょにCreationしましょ~!


9月21日(土)より
あめつちWORKS @佐々

■OPEN   毎週 水・土 13:00 ~ 21:00 (所要時間:1作品 約1.5~2h)

■場所  佐々町口石免1612-7(芳ノ浦バス停より徒歩5分・P有り)




9月23日(月・祝)より
あめつちWORKS @平戸

■OPEN   毎週 月曜 10:30 ~ 18:30 (所要時間:1作品 約1.5~2h)

■場所  「紙漉の里」平戸市山中町28-3 (P有り)





以下、佐々・平戸とも同じ内容になります↓


■料金 
利用チケットを購入していただくか、一回ごとにお支払いのどちらかを選んでいただきます。 

①利用チケット 6枚つづり 5000円(一回あたり約833円)
※初回利用日より 2カ月間有効
※材料・焼き代別途(サイズ、重さによります。例えば湯飲み1個で約500円前後です)

②単発での受講は 1回 3000円(材料、焼き代込)
※後日の削り、釉薬かけまで含む
※使用粘土は1kgまで(500g/500円単位で追加可)   

■お問合せ
080-5792-3458
✉ egritomo@gmail.com




見学は自由です!
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あめつちWORKS の WORKSについて

2019-09-17 | あめつちWORKS
今月から新しくはじめる活動「あめつちWORKS」



言ってしまえば「陶芸教室」なんですが
陶芸教室ってイメージがしっくりこなかった


私が伝えられる技術と知識と
その場所と
来てくれる人
私はそこでどんな創造をしたいかな
どんな場に自分がいたいかな
ってイメージしたとき

「陶芸教室」だと
やることが決まってて
教える→習うっていう一方通行な印象だなー
それはちょっとつまらないなーって思った



教室っていうよりアトリエとか工房みたいなのがいいな♪

キャリアに関係なく
創る人は誰もが表現者だ


創作活動って基本独りの世界。
場は共有するけど
それぞれが自分のペースで創る。
たまに人の見て個性の違いをおもしろがる。
創るエネルギーが充満しているアトリエって
心地いい刺激があって楽しいよ


私が陶芸を始めた教室がそうだった。
基本的なことは習ったけど
後は自由に好きにやらせてくれて
すごく楽しかった。

それから同じころ
美術の専門学校に通ってた友達にくっついて
授業に紛れ込んでデッサンしたりしたことがあって
学生たちがそこここで黙々と
いろんなことして制作してるのを見ると
自分も何か作りたくなってワクワクした。



基本的なことは教えるけど
スタンスとしては
自主的に創作をする人の共同アトリエみたいなのが
私はいちばんワクワクする

そこでその人の中にある「カタチになるのを待ってるもの」を
カタチに出してくサポートができたら嬉しい




という想いを込めて
教室としないでWORKSって付けました。

もちろん自在に粘土を扱えるまでしっかり丁寧にお教えしますし
常に創作のサポートをさせていただきます




あめつちWORKSは、佐々と平戸の2拠点です
ぜひ、お近くの あめつちWORKSへ
いっしょにCreationしましょ~!


9月21日(土)より
あめつちWORKS @佐々

■OPEN   毎週 火木金土日 10:00 ~ 18:00 (所要時間:1作品 約1.5~2h)

■場所  佐々町口石免1612-7(芳ノ浦バス停より徒歩5分・P有り)




9月23日(月・祝)より
あめつちWORKS @平戸

■OPEN   毎週 月曜 10:00 ~ 18:00 (所要時間:1作品 約1.5~2h)

■場所  「紙漉の里」平戸市山中町28-3 (P有り)





以下、佐々・平戸とも同じ内容になります↓


■料金 
利用チケットを購入していただくか、単発(一回ごとにお支払い)のどちらかを選んでいただきます。 

①利用チケット 5枚つづり
初回8000円 2冊目6000円 3冊目以降〜5000円

※材料・焼き代別途(サイズ、重さによります。例えば湯飲み1個で約500円前後です)

②単発での受講は 1回 2000円

(2021.4改訂)   

■お問合せ
080-5792-3458
✉ egritomo@gmail.com




見学は自由です!
気になる方は、気楽に遊びにきてください




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