香山ラベンダーの丘で、時間を確認すると14時でした。
日没までにもう一つ楽しめそうです。
そこで次に、岡山県のヒガンバナの名所、足守へと向かうことにしました。
途中八田原ダムにできた芦田湖畔を通り、
芦田川のヒガンバナを観察しながら
国道486を岡山へ向かいます。
井原市、八掛町を経由して倉敷市の北で高梁川を渡りました。
ほどなく岡山市に入り、足守地区へ向かっていると、車窓の周囲にヒガンバナが目につくようになってきました。
その変化は徐々にではなく、小川を一本超えたら急に、といった印象です。
農道へ車を進めて、ヒガンバナを堪能しました。
足守地区に入り、いつものように散策ドライブを始めました。
たまたま神社の横に中国自然歩道案内図を見つけたので、眺めていると、足守地区には中央に足守川が流れ、木下利玄の生家や、雪舟生誕の地などという記載も認められます。
何だか予想外に面白そうな所です。
木下利玄の生家の方角へ車を向けました。
途中で足守川を渡る時に、昔の懐かしい風情を漂わせる橋に出会いました。
橋の横に「ここは蛍の里なので蛍をとらないで下さい」と掲示してあります。
橋の先へ進むと、古い町並みの中に足守商家藤田千年治邸が文化財として保存されていました。
更にその先に木下利玄の生家がありましたが、残念ながら丁度修理補修中で、入ることは叶いませんでした。
しかし、私はここで初めて、次のようなことを知ることができたのです。
<足守藩祖木下家定は実妹「ねね」が秀吉の正室であったので秀吉の出世に伴って木下、羽柴、豊臣の姓を名乗った。大阪夏の陣の後、木下利房が再び足守藩主に命じられ、その後木下家は明治維新に至るまで存続して13代の藩主を数えた。>
つまりアララギ派の歌人、木下利玄は「ねね」と血筋の繋がる人物だったのです。
更に、後で調べて分かったのですが、木下利玄は“曼珠沙華の歌人”と呼ばれていたのだそうです。
へ~ そうか、そうだったのか。
きっと木下利玄を誇りに思う郷里の人たちがヒガンハナを大事にしているんだ。
だからこの地にヒガンバナが群生しているんだ。
それにしても、こんなことがあるから、本当に「花の旅」は面白過ぎて、止められない!
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