競泳空想科学

聞いたことがある。
人間が思い描いたことは実現できると。
あとは行動するだけだ。

温故知新

2005年09月20日 | 友人ネタ

いやー衝撃的でした。

 内藤さんのブログhttp://blog.goo.ne.jp/last4moon/1の画像。(9月15日)

さらに「治療方法」も。

http://www.wound-treatment.jp/

常識とされてたことが違っていたり。

【信じ切ってた。。。】

「突き指」→「引っ張れー!!」

「うさぎ跳び」→「グランド10周!!」

「水分補給」→「根性が無い!バテるぞ!!」

皆さんはありますか?

 

検証することをめんどくさがってるうちは進歩しないんだろうな。

 

≪おまけ≫

【新しい創傷治療 -顔面挫傷例-の中の一文より抜粋】

「~この結果を見てもまだ,「傷には消毒とガーゼ」の考えを改められない医者は,勇気がないか,理解力がないか,新しいことをするのが余程面倒か,患者を苦しめるのが好きか,そのいずれかであろう。」

グサっときますね。。。


さすが先輩!!

2005年06月15日 | 友人ネタ
【現役高校教師のブログより】
以下の文章は先輩ブログより抜粋した内容です。


≪二子山親方が亡くなって、ワイドショーやネット上では、花田家の確執が問題になってうんざりですね。
二子山親方は角界に入る前は水泳選手として、将来を有望視された選手でした。
(そう言えば僕らの世代では、吉川晃司が水球選手で有望視されていましたが…)

小学生の頃、才木コーチ(だったかなあ)から「大関貴乃花は、50mのキックを30秒で泳いでいた」とキック練習中に聞いた覚えがあります。「スゲー」と思い、発憤した記憶が…。

その貴乃花の角界入りの時の有名な言葉が「水泳じゃ飯食えん」です。

実は、この言葉は高校時代の恩師・渡辺先生(現小浜高校校長)から、高校時代に何度もアドバイスされた言葉でもあります。先生は、水泳がいくら好きでも、水泳を生活の手段にしてはならないと常に話されました。

「自分の力(学力)で進学をすること」

「水泳を使った進路決定をしないこと」

高校時代は何気なく聞いていた言葉も、今、これらの言葉の重要性が理解でき、常に頭から離れません。
指導者になってからは、その言葉を実践したいと考えてアドバイスを送っています。

私の場合、体育の教員にならなくて本当に良かったと思います。(体育を選択していたら、水泳しか知らない水泳バカになっていたような…)

恩師と同じ社会科を専攻し、恩師と同じ地理学を選んで本当に良かった。そう考えられるのは、部活の指導よりも授業を大切にしていた先生の姿に憧れを感じているからだと思います。

「鬼の渡辺」は授業中のこと。部活では「仏のカッチャン」です。

遠征の度に、「あれがトンボロぞ」「ほら、エスチュアリーが見えるか」「あそこが環礁になっとる」飛行機の中で解説してくれたことが今の仕事に生かされています。

私もあの時の先生のように、授業第一で頑張っているつもりです。が、なかなか満足できる授業ができませんね↓。

「鬼の荒木」になかなかなれない未熟者ですが、せめて授業だけは「鬼」を目指したいです。

「仮面ライダー響鬼」的にはわたしは荒鬼ですかね!
「ターッ!!!!!」≫


さすがです。
「高校教師」としての「信念」が伝わります。
僕は「スイミングコーチ」としての「信念」を持っています。
「水泳(競泳)を通じての人間形成」です。
いろんな考え・意見・答えがあります。
面白いですね。
それを拒否するのは簡単ですし、「思考の停止」をするだけです。(成長停止!!)
ですから、上記のブログの表面だけをなぞった考え(反論)は良くありません。
この文章の「本質」を見抜く思考力もまた、僕たちコーチの力を試されていると思います。
ね、やすまさ君。

そうなんです、ちさちゃん!

2005年06月02日 | 友人ネタ
「名鉄SC神宮前」に「石田先生(現)三菱養和SC:東京」がいらっしゃいました。

東海ブロック合宿で「あかすり」おごってもらいました。(出会い)

中京大学で入れ替わりの先輩でした。(入学した際、卒業された先輩)

熱心な、それでいて愛着のある(失礼)話し方に魅了されました。

その後、試合のたび、合宿のたび、国体場所取りのたび(大雨警報)、いつもいつも声をかけてくださいました。

「素敵なコーチだな。選手は羨ましいな。」
と感じていました。

時期が来て、休みを利用し、転勤先の「名鉄SC刈谷」まで電車で30分かけて、仕事上の悩み・選手の相談・プライベートの話。etc。一方的に話し続けました。
その中の一つに
「普段の自分のあり方で、選手との出会いがある。」
ン?
ある高校の先生が「あの選手うちの高校に入学してくれないかな?」と思い、ある識者の方に相談したそうです

その方は「来るときは来る。」と答えたそうです。
何??

僕は「そりゃそうだ」と心の中でツッコミました。

「で、その選手は高校に来たんですか?」と聞いたら「来なかったんだって」と。
へ???
「何を伝えたいんだろう?」と考えていたら、

「佐々木。来てほしいからといって、突然、いい事やっても駄目なんだよ。普段から変わりなく当たり前のことを当たり前にやらなきゃ。そうしたら、向こうから魅力に気づいてくれる。」

あ!!!!
「わかりました!」

前述の言葉の意味が心に沁みた瞬間でした。

そういう先生が「魂を込めて」育てた選手が

「バレットガール(弾丸娘)ちさこ」です。(呼び方変えただけです)

だから、神宮前の選手もうちの選手と同じ「愛着」あります。

「みた兄弟」元気かな?

皆さん、ちさちゃんのブログへどうぞー!
http://blog.goo.ne.jp/last4moon/

仲間

2005年06月01日 | 友人ネタ
この仕事に就く際に考えたこと。

「大学でも活躍できる選手を作りたい」でした。

「中京大学」は大好きなんですよ。高橋先生が、鶴峰先生が、仲間が。

人数は多いけど暖かいんですよ。冷めてないんですよ、心が。

俺が落ち込んでたら「たかよし」「たくみ」「かさぎ」が真剣に怒ってくるんですよ。

「一人で悩むな!仲間だろ!!」って。

信じられませんよね、普通は。けど本当なんです。

俺が4年のとき、熱が39℃だけどみんなの手前休めないから練習してたらたかよしが

「いい加減にしろ!お前だけの体じゃない!ゆっくり休め!」

その時は「みんなのためにがんばってんだ!」と思ったけどうれしいかった。

そういう体験をしてほしいんです。

書き込みに「播磨」が登場してくれます。

多分、人一倍辛い思いしてました。

けど、人一倍勉強になってるはずです。

播磨の言葉はいつもいつまでも勉強になるんです。

BGM:Do you remember rock'nroll radio?(ramones)

選手休みなので

2005年06月01日 | 友人ネタ
「いとうたかよし」について
述べさせていただきます。
「想い出」ありすぎて語れません。
とにかく「熱い」男です。

大学の4年間を振り返って、たかよしと過ごせた時期は貴重な体験でした。

一本筋が通ってる男ですから、頻繁に「障害物」にぶつかってました。

けど一本道しか行かないので障害物を押しのけて前へ進んでいってました。

中部インカレではアップの際に「他大学」に掴み掛かって鬼の形相で蹴散らしていました。

もちろん後輩もたまーに目の上に「メロン」大のたんこぶを作らされていました。

こういうことばかり書くと「怖い」といった印象が先走りますが、僕にとってはかけがえの無い

「友人」です。

同じグループで仕事をしてるのもやはり「縁」なんでしょうね。

今は「春・夏のJO」「イトマン招待」でしか会えませんが、相変わらず

摂氏100℃

いい男です。

カモンネビバディアンレッツゲッツギャザツーナイー!(よく歌ってました)

2016 「See You Again」

2015「繋心」

2015「HAC」

for you , to me