今日は練習を少しだけカットして道具作りの体験教室です。
道具が使えなくなれば、捨てて新しい道具を買えばよいのでしょうが、それ以前に道具を大切に使うだけで、その道具の寿命も延びる訳です。
選手生命も同様です。体を酷使する事には慣れてはいても、労り方が下手だと寿命は縮みますからね。
道具に愛情を持って接してみても良いのじゃないかな。
瑞樹君、結子さんが説明してるのにカメラ目線は無いでしょう。笑
多分、萌香と優希でスポンジの絞めの作業に入ってます。
沙羅はテキパキと作業が進んでいましたので、難易度を上げたベルトに仕上げました。栄里はベルトの先端をライターで炙っております!
花嫁修業です。
これくらい出来なきゃ、ね?
なかなか良い作品を作り上げた健太!
スーパースプリントですのでやはりスポンジの本数は一番多いです。
こうやって今後は少しずつでも、たくさんの経験を増やして行ければと思います。
学生のみんなが練習出来るのは親御さんの理解があって初めて取り組める事ですし、こういう道具一つでも「お金」も必要になり、「手間」が掛かっているという事を理解しなければ、本当の意味での「感謝」はできないでしょう。
「役員」のみなさんがいなければ「レース」すら開催される事は出来ないのですし、選手として指導してくれた「コーチ」や「先生」がいなければ、「今」がない訳ですからね。
先日、聞いてびっくりしたのは理科の授業で「アルコールランプを使ったつもりで授業をおこなっている。」という話です。「(実験で)ケガをしたら誰が責任を取る?」そこから始まってしまっては何も出来なくなってしまいますし、学校では何も経験する事は無くなってしまいます。もしそうならばスポーツなんてもってのほかでしょうね。。
二宮金次郎の像も然り。
今では金次郎像も薪を下ろし、椅子に座って本を読む銅像もあるそうですが、仮にこれが「(従来の薪を背負い歩きながら本を読む)真似をして、けがでもしたらどうするのだ!」といったクレームから作られたのであれば、それは情けない話。
「勤勉さ」を例えたその銅像の正に「表面」だけを捉えた悪例です。
「本質」さえ理解し、また、指導・教育すればこのような悪例は無くなっていくのに、と思います。
話が飛躍しましたが失敗も含めて「良い経験」へと変えていけるのは、まさにその人の「信念」の問題ですから、ぜひ上手く行かないとき、今回みたいに水泳とは関係がない(と思えるような時)こそ、意味を見い出す工夫をして欲しいと思います。