競泳空想科学

聞いたことがある。
人間が思い描いたことは実現できると。
あとは行動するだけだ。

言葉にすると軽薄すぎること

2007年05月09日 | 個人ネタ

4月20日午前7時47分に母は永眠しました。

思い返すと何もしてやれなかったことばかり。

ぶつかることが多かった、とはいっても、母親は言い返したいことの100分の1も言えなかったはず。

点滴の生活になってから、いっそうやせ細っていった。

入院した際の体重が29kgだったので、退院後は25kgくらいだっただろうか。

筆談もままならなくなり、一層意思の伝達が難しくなった。

19日の晩、叔母さんが僕にご飯を作ってくれた。

久しぶりの多品目の食事だった。

ガツガツ食べながら、ふと母親のベッドへ目をやると

点滴のみ母の姿が目に入った。

自分は普通に食事ができ、母親は一切口にできない状態なのだ。

匂いをかぐことには障害は無く、頭もしっかりしていると考えると、さっきまでガツガツ食べていたのに、僕は嗚咽をあげてうまく食事が出来なくなった。

叔母さんが帰った後、母親に気持ちを吐露した。

「生んでくれてありがとう、あと、育ててくれてありがとう、それと、水泳をさせてくれてありがとう」

ずっと力無くベットに寄りかかった母親が大きくうなずくのだ。

看護師さんから母親の前では涙を見せない方が良い、と言われていたので、母親の手をさすり、頬で暖めるようにしながら泣いた。

朝5時に呼吸器の設定をし、それが最後となった。

母が亡くなって、今は寂しい気持ちが去来する。

いろんな思いが巡り巡って最後は感謝の気持ちが支配する。

ただこんな風に文字や言葉に出来るほど軽く、壊れていく様な想いではなかった事は確かだ。

救いは穏やかな顔で最期を迎えることができ、二人きりで会話(確かに会話したと思う)できたことだった。

感謝してます。

ありきたりな言葉だけど他に適当な言葉が見当たらない。

あとは母が与えてくれた水泳をこれからまた・・・。

さあ頑張ろう。


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