4月20日午前7時47分に母は永眠しました。
思い返すと何もしてやれなかったことばかり。
ぶつかることが多かった、とはいっても、母親は言い返したいことの100分の1も言えなかったはず。
点滴の生活になってから、いっそうやせ細っていった。
入院した際の体重が29kgだったので、退院後は25kgくらいだっただろうか。
筆談もままならなくなり、一層意思の伝達が難しくなった。
19日の晩、叔母さんが僕にご飯を作ってくれた。
久しぶりの多品目の食事だった。
ガツガツ食べながら、ふと母親のベッドへ目をやると
点滴のみ母の姿が目に入った。
自分は普通に食事ができ、母親は一切口にできない状態なのだ。
匂いをかぐことには障害は無く、頭もしっかりしていると考えると、さっきまでガツガツ食べていたのに、僕は嗚咽をあげてうまく食事が出来なくなった。
叔母さんが帰った後、母親に気持ちを吐露した。
「生んでくれてありがとう、あと、育ててくれてありがとう、それと、水泳をさせてくれてありがとう」
ずっと力無くベットに寄りかかった母親が大きくうなずくのだ。
看護師さんから母親の前では涙を見せない方が良い、と言われていたので、母親の手をさすり、頬で暖めるようにしながら泣いた。
朝5時に呼吸器の設定をし、それが最後となった。
母が亡くなって、今は寂しい気持ちが去来する。
いろんな思いが巡り巡って最後は感謝の気持ちが支配する。
ただこんな風に文字や言葉に出来るほど軽く、壊れていく様な想いではなかった事は確かだ。
救いは穏やかな顔で最期を迎えることができ、二人きりで会話(確かに会話したと思う)できたことだった。
感謝してます。
ありきたりな言葉だけど他に適当な言葉が見当たらない。
あとは母が与えてくれた水泳をこれからまた・・・。
さあ頑張ろう。