一生懸命に伝えようと必死になっても、教わる側の熱量によってその学びが学びになるかどうかが決まる。
「トレーニングの取り組みはこうした方が良いよ」
「私生活を充実させることで水泳も向上していくんだよ」
という話をしたとしても
「しんどいんだから」「何が関係あるの?」と思ってしまってはその先がない。
もっと悪いのは聞いたふり。右から左。
しかし、現状を打破したいと考え、自ら教えを乞う場合は違う。
その言葉の一字一句をモノにしようと、血肉にしようと必死になって聞いてくる。
その言葉の真意を探り始める。
「教えてほしい、学びたい」
この気持ちこそが水泳の上達であり、今よりも先に進むために必要な要素。
*童蒙=子供