ティアラ、7月4日午前11時半、永眠しました。リンパ腫発症がわかってから20日間、治る見込みのない病気のため苦痛を和らげることを目的とした処置を続けてきました。いわゆる、終末医療みたいなものでしょうか。本猫も頑張ったし、病院の先生方も手を尽くして下さいましたが、最後は自力で姿勢を保つことができなくなり、体温が急激に低下したので、麻酔薬を投与しました。ほんの数秒で、私が支えていた頭が重くなったと思ったら、コトンと眠りに落ちるように静かに旅立ちました。
猫の寿命が格段に伸びた昨今では、11歳と9カ月というのは決して長生きとはいえませんし、ティアラは目が痛かったり、傷が膿んでしまったりと、超元気で絶好調!という期間が少ない子でしたが、それなりに楽しい時もあったと思ってくれていたら嬉しいのだけど。
お膝に乗るのが大嫌いだったティアラ、亡くなる時になって初めて、お世話係の膝に乗りました。変な言い方かもしれませんが、12年間弱ティアラと一緒にすごしてきて、この20日間が最も濃密な時間だったような気がします。
猫の寿命が格段に伸びた昨今では、11歳と9カ月というのは決して長生きとはいえませんし、ティアラは目が痛かったり、傷が膿んでしまったりと、超元気で絶好調!という期間が少ない子でしたが、それなりに楽しい時もあったと思ってくれていたら嬉しいのだけど。
お膝に乗るのが大嫌いだったティアラ、亡くなる時になって初めて、お世話係の膝に乗りました。変な言い方かもしれませんが、12年間弱ティアラと一緒にすごしてきて、この20日間が最も濃密な時間だったような気がします。
急死ではなかったので、やれることはやったという気持ちでした。
通っていた病院の前を通ったりすると、あ…とは思うけれど、いわゆるペット・ロス的なものはありませんでした。
ジュリアがひとつきほど探し回って大変でした。
やっぱり私ではジュリアのお姉ちゃんにはなれないようです。
寂しくなってしまいましたね
少しは落ち着きましたか?
まだまだ悲しいことを思い出すこともあると思いますが
いつか楽しい思い出いっぱいでクスッと笑えるようにしましょうね
すなふ家もまだまだですががんばります。
この20日間は、ティアラの通院が一日の計画の中心になり、開いてる時間に色々なことをこなすという感じでした。
ジュリアはやっぱり、お姉ちゃんロス気味でして。
ティアラが死んだ当初は大声であちこち探し周って大変でした。
性格もちょっと変わったような…。
なので、ジュリアがもう少し落ち着いたら、伺いたいと思います。