ゆみねこ日記

日常日記です。

震災遺構・荒浜小学校

2017-05-30 08:53:04 | 日記
東日本大震災で大きな被害を受けた、仙台市若林区の荒浜小学校。

当時、320人の児童や先生方・地域の住民の皆さんが学校に避難し、
関係者の賢明な判断で上階や屋上に駆け上がって、学校に身を寄せた
方々は命を守ることが出来たということでした。

しかし、この地域の関係者190名あまりが、津波の犠牲になられた…


悲しく辛い事実ですが、後の世に語り継いでいくために、この荒浜
小学校は震災遺構として公開されることになりました。

大型連休のころにオープンしたのですが、ちょっと混雑しているという
ことだったので、オープンから約1カ月たった、この前の日曜日に訪問。


海岸から約500メートルほどの位置にあるこの小学校に、4.6メートルの
津波が押し寄せ、校舎の2階、床上まで水に浸かってしまいました。

津波の勢いは凄まじく、海側に位置する保健室や1年1組の教室には車や家屋
のがれき、防砂林の松の木が堆積してしまったのだと…

がれきは撤去されていますが、剥がれ落ちた天井や折れ曲がったフェンスは
そのまま…
見て、思わず絶句する。。


















以下の写真は、震災翌日撮影されたものを展示。





一階と二階の間の階段踊り場にも…










二階床上の津波で浸水した部分。
壁にも水の跡がくっきりと残っていました。






かつて多くの人たちが生活していた荒浜の街並みを手作りのジオラマで。






校舎から海を望む。
かつては緑豊かな木々に恵まれ、海はみえないほどだったのだとか。






四階に上がると、当時の様子を時系列で展示。
14時46分の地震発生、ここ荒浜小学校には15時50分ごろに津波の第一波が。。

2010年にチリ津波があり、そのときはこの地域は被害はなかったのですが、同じ
三陸沿岸では1mの津波で漁業施設に被害がでました。
その経験に基づき、校舎西側の体育館を避難場所としていたのを、校舎上階・屋上に変更。
災害用の非常食や毛布などの保管も体育館から3階に変更。

この変更が、ここ荒浜小学校に避難された方々の命を守りました。


屋上から自衛隊のヘリコプターで、まず子供たちから救助を開始したのが夕方5時半。
一度にヘリに乗せる人数も3人ずつ。
低学年の児童から順番に救助し、すべての小学生が救助されたのは翌朝8時。

毛布は数が少ないので、紅白幕や暗幕、カーテンなども駆使し暖を取ったのだと。

真っ暗で寒い夜、余震が絶え間なく襲う一夜を、どんな思いで過ごしたのか。
想像するだけで涙がにじむ思いでした。


仙台にお出かけになる機会があったら、ぜひ、荒浜小学校を訪れてくださいね。

月曜は休館です。
年末年始もお休みになるようですのでご注意を。






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