ハナウタ うたこの「宝物がいっぱい」

自分にとっての「好き」や「嬉しい」を集めて綴る、ささやかなことのブログです。

図書館の本のこと

2017年04月06日 | ❷ 本とか映画とか

フィンランドでは図書館で本を借りると

作家に1冊15円の印税が入るのだそうです。

少し税金が上がるかもしれないけど、日本もそうすればいいのに。

 

私の手元にはつねに図書館で借りた本があって、

正直言って めったに本を買いません。

このことには案外胸をいためておりまして

日夜 唯一無二の作品を生み出す努力をしている作家の人たちに

申し訳なく思うのです。

 

カラオケだって誰かが歌えば権利収入があるでしょう。

本もそうだといいのにな。

 

 

 

 


ふたりでできる学び

2017年04月05日 | ⓴ ホームエデュケーション

仕事の帰りが遅くなると

「寂しかったよ」

と息子が言うので、

仕事の予定が入っていると

「明日も仕事なの?寂しいな」

と息子が言うので、

おとといの月曜日は「6時には帰るよ」って言って出かけて

超・超 スピードアップして終わらせて、さらに夕飯は好物を、と買い物して

早く、早くと小走りで「ただいま~~~」って、

ほーら、おまたせ お母さんが来たよー 

もう寂しくないよー 的なノリでふすまを開けたら

 

「え!?もう帰って来たの? 早くない? 6時に終わってそれから帰ると思ってた。

 これから一人でやりたいことあったのに、

 母さん帰ってきてやる気が失せた

と言われました。

かちん。

 

息子は思ったことを正直に言っただけなのに 

なぜ母が怒っているのかわからないんだそうだ。

え?なんで怒るの?僕だったら「ああそう」って思うだけだよ。

イヤミのつもりもないんだけれど(そう、イヤミは言わない人)

逆にショック、母さんが傷つくことが、と。

 

冷静に考えて、

私も勝手な解釈で、息子が喜ぶと決めつけてた。

毎回寂しいのだと決めつけていた。

そうではない日もたくさんあるのに、

お母さんの思いが伝わっていない 喜ばせたくて帰ってきたのに と言って

息子を責めてしまった。

そんなのは私の勝手、

私の方も、息子の思いがわからなかったのは同じ。

 

 

ということを、息子と互いに説明し合った。

あなたにこう言われたから、私はこういう風に受け取ったんだよ。

僕にはそういうことがよくわからないけど、母さんはそうだったんだね。

さっきはごめんね。

こちらこそごめんね。

そしてこれからもこういう伝え合いを大事にしていこうね、と話し合った。

 

相手にも気持ちがあること。

それを思ってみること。

でも、思ったことと相手の本当の気持ちは違うかもしれないから

相手にちゃんときくこと。

自分の気持ちも話すこと。

自分しか見えなくならないように。

まあ そんな感じ。

 

 

 


竜洋へ

2017年04月02日 | ⓴ ホームエデュケーション

先週2泊3日で静岡に遊びに行きました。

息子のホームエデュケーション2年目の私(←ここポイント)の楽しみは、

全国の仲間に会いに行く、です。

今回はここ竜洋(磐田市)の地で、ホームエデュケーション仲間と会うのです。

息子自身に目標があるかは知りませんが、

私の今年の目標のひとつは正直であることなので、行きたいところに行きますよ。

 

1日目、曇り

 

akちゃんとてい子と海沿いサイクリングに出掛けた

 

そしたら遠くの浜に息子を発見。

ひとり自然を満喫してました。

 

ご飯作りは人任せで、おいしいものを食べさせて貰いました。

焼き肉とか餃子とか煮物とか、バイキング形式で。

とっても嬉しかった。

部屋には四六時中食べる物があって、なんか安心。

集まると30人くらいいて、もうビッグファミリーって感じ。

みんな自分の好きなことして楽しそうなんだな。

 

あと2日はいい天気でした。

最終日に 

借りていた自転車を事務所に返すためにちょっとだけ自転車に乗った息子は

自転車楽しい!次回はレンタサイクルしたいなって言ってました。

 

息子は自分から積極的に人と関わらないのですが人に対してはかなり好意的。

そばにいるだけでじゅうぶん仲間感覚を味わっているのでしょう。

わからないけど。

 

 

お土産もいっぱい買いました。

その中でのヒットはコレと

 

コレ(肉まんくらいの大きさのお麩

すぐなくなりました。

次回もリピートします。

 

また行くぞ。

 

 

 


老後の幸せについて考える

2017年04月01日 | 🐤 日記

お彼岸にムスカ大佐(夫)の実家に行ったらゼウス(義父)に言われた。

「あなたもそろそろ介護の問題について考えておいて下さい。(←聞き捨てならない!)

 あと年金ね。

 妻一人の年金では生活などできませんから、今からちゃんと年金の貰えるような

 仕事に就いておいた方がいい。老後困らないように」

 

いろいろツッコミたかったけど話をさっさと終わらせたかったので

「はーーーい、そうしまーす、考えまーす」

って答えた。

 

だってね、答えなんて多分どうでもいいのです。

覚えてやしませんし(覚えてたって構わないし)。

それよりあそこで何かを言うとゼウスの不安は増えるのです。

大丈夫ですよ、ちゃんとやってますよって言ったとしても増えるのです。

「お義父さんたちは大丈夫ですか?」

って丁寧に話を聴いたとしても、多分 ゼウスは自分で自分の不安を増やすのです。

だって、そういう考え方 感じ方の人だもの。

 

瞬時に考えたにしては、上記の答えはナイスだわ。  

少なくとも、私なかなかどうして よくやってます。

ゼウスよりは考えて生活してるつもりです。

 

それで最近、老後の幸せってなんだろう?老後の安心って何だろう?と考えました。

 

最後まで自分で自分の体を動かせることかな?

丈夫な胃腸で食べられることかな?

周りに人がいることかな?

お金があることかな?

 

でもどんなにいろんな条件を満たしていて 沢山持っていても 

「まだ何か足りない」って心配ばかりすることはあり得ることかもしれない。

 

だとしたらやっぱり

その時の自分の日々の中で、おかれた境遇で、自分が手にしているものの中で

より多くのことを幸せと思えることが一番の幸せなんじゃないかな。

 

そういう、わりとなんでも いいように感じちゃう体質というか思考であることが

老後が幸せかどうかも決めるんじゃない?

「ああ、私の人生なかなかだわ」って

ひとかけらのパンに感謝して。

 

だからやっぱり今のうちから

自分を取り巻く環境のあれこれを幸せに感じる力を身に付けたいな。

・・・いつも言ってることなんだけど

いつだって今が一番大事なんだし、保証できるのも今この瞬間だけなんだから。

 

幸せって文明のもたらした思考にすぎないのだろうけど。

そもそもこんなふうに考える暇があることこそ幸せなのかもしれないけど。