郷が杜備忘録

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けんみん大学「良寛と震災」を受講して(講義の概要①)

2019-11-21 | 日記
けんみん大学「良寛と震災」

講師:東北福祉大学 斉藤仙邦先生

1.講義の目的と概要

  良寛さんのイメージから説き起こし、良寛さんの資性と生き方を知る。

  良寛さんのイメージには、清貧、世捨て人、やさしさ、なつかしさ、自由さなどがある。
  さらに、遊び、道人、達観、仏教ということも思われる。
  そして、漢詩、和歌に長じており、書も有名である。
  また、晩年には貞心尼との歌による交流もある。

  良寛さんの資性については、入谷義孝さんという方の研究がある。
  それによると、良寛さんは「羞恥のひと」といわれる。「羞恥のこころ深き人」だという。

  良寛さんの生き方に流れるものは、「行持」と「騰騰任運」である。
  「行持」とは、道元の「正法眼蔵」にある言葉である。
  解説書に寄れば、
  「仏道には必ず無上の行持があって、めぐりめぐって断絶することがない。
   発心、修行、悟り、解脱と、暫くの隙間もなく、行持はめぐりめぐっている。
   それは自分が無理にすることでも、他人が無理にすることでもなく
   自他の対立を超えた純粋の行持である。」
  「この行持の働きが、我をあらしめ、他者をあらしめるのである。」

  「行持」とは、仏の行い、日常の行いということである。


  「騰騰任運(とうとうにんうん)」の、騰騰とは、のびやかということで、
   任運は、運に任せるということのようだが、仏教では運は「縁」のことである。
  「出会う」ことが「縁」であるという。

  良寛さんは、道元の言う「名利を思うことなかれ」を大事にし、立身を求めなかった。
  普通の人は出家をすれば、故郷に錦を飾り、寺を持って、宗派に閉じこもり、
  一城の主となってしまう人が多かったが、良寛さんはそれができなかった。


  以上のような、良寛さんの資性と生き方を知るためには、良寛さんの
  生涯を見て考えていかねばならない。

  そして、良寛さんには三条地震に対する「地震後の詩」というものがあるので、
  それを東日本大震災との絡みで考えてゆく。

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