ベイジン(上)(下)
幻冬舎文庫 2010年4月10日初版発行
この作品は、2008年7月に東洋経済新報社より刊行されたものを修正したもの
著者 真山 仁(まやま じん)
1962年 大阪府生まれ、同志社大学法学部政治学科卒業。
中部読売新聞記者を経て、フリーランスとして独立。
2004年「ハゲタカ」でデビュー。他の著作に「ハゲタカⅡ」「マグマ」「レッドゾーン」「プライド」など。
真山 仁さんの小説は今まで「ハゲタカ」「ハゲタカⅡ」「レッドゾーン」などを読んできた。
この「ベイジン」も読みたかったが、しばらく上巻が手に入らなかったので、延び延びになっていた。
読んでみてまた一気に読み終わってしまった。
この小説は2008年に書かれている。それは2008年の北京オリンピックを控えた中国の姿が
書かれているからである。
物語は2005年から始まる。
北京オリンピックの開会式に彩をそろえる「和諧の光」を供給するために、世界最大規模の
原子力発電所を大連近郊に造ることから、それにかかわる日本人技術者田嶋と中国共産党
幹部・鄧学耕(ドン・シュエグン)を中心に、中国の現実と原子力発電建設の脅威との闘いが始まる。
登場人物は、
田嶋伸悟=紅陽核電の技術顧問・運転開始責任者
鄧学耕(ドン・シュエグン)=大連市党副書記、紅陽核電運転開始の特命を持つ、前中央紀律委員会の職員
馬漢研(マー・ハンイエン)=中央紀律委員会の副書記、鄧学耕の元上司
楊麗清(ヤン・リーチン)=北京五輪記録映画の総監督
李寧寧(リ・ニンニン)=副首相夫人、DPG(大連鳳凰集団)の総帥
趙凱陽(チャオ・カイヤン)=大連市長
紅陽核電(原発)の建設と共産党内部の権力争いを絡んで物語は進行、ウィーンのIAEA(国際原子力機関)での
中国の核電開発のアピールを兼ねた訪問で物語は中盤に入り、ここでの原発事故のシュミレーションには
驚かされた。まだ2011年の東日本大震災は起こっていなかったのであるから。
物語はこの後、北京オリンピック開催に合わせた紅陽核電の運転開始から核電内の火災から始まる
SBO(ステーション・ブラックアウト)に陥っていく。田嶋、鄧は体を張って事故対策に当たるが、蒸気爆発や
炉心溶融(メルトダウン)への危険も迫る。日本の福島原発の事故を見るような緊張感であった。
幻冬舎文庫 2010年4月10日初版発行
この作品は、2008年7月に東洋経済新報社より刊行されたものを修正したもの
著者 真山 仁(まやま じん)
1962年 大阪府生まれ、同志社大学法学部政治学科卒業。
中部読売新聞記者を経て、フリーランスとして独立。
2004年「ハゲタカ」でデビュー。他の著作に「ハゲタカⅡ」「マグマ」「レッドゾーン」「プライド」など。
真山 仁さんの小説は今まで「ハゲタカ」「ハゲタカⅡ」「レッドゾーン」などを読んできた。
この「ベイジン」も読みたかったが、しばらく上巻が手に入らなかったので、延び延びになっていた。
読んでみてまた一気に読み終わってしまった。
この小説は2008年に書かれている。それは2008年の北京オリンピックを控えた中国の姿が
書かれているからである。
物語は2005年から始まる。
北京オリンピックの開会式に彩をそろえる「和諧の光」を供給するために、世界最大規模の
原子力発電所を大連近郊に造ることから、それにかかわる日本人技術者田嶋と中国共産党
幹部・鄧学耕(ドン・シュエグン)を中心に、中国の現実と原子力発電建設の脅威との闘いが始まる。
登場人物は、
田嶋伸悟=紅陽核電の技術顧問・運転開始責任者
鄧学耕(ドン・シュエグン)=大連市党副書記、紅陽核電運転開始の特命を持つ、前中央紀律委員会の職員
馬漢研(マー・ハンイエン)=中央紀律委員会の副書記、鄧学耕の元上司
楊麗清(ヤン・リーチン)=北京五輪記録映画の総監督
李寧寧(リ・ニンニン)=副首相夫人、DPG(大連鳳凰集団)の総帥
趙凱陽(チャオ・カイヤン)=大連市長
紅陽核電(原発)の建設と共産党内部の権力争いを絡んで物語は進行、ウィーンのIAEA(国際原子力機関)での
中国の核電開発のアピールを兼ねた訪問で物語は中盤に入り、ここでの原発事故のシュミレーションには
驚かされた。まだ2011年の東日本大震災は起こっていなかったのであるから。
物語はこの後、北京オリンピック開催に合わせた紅陽核電の運転開始から核電内の火災から始まる
SBO(ステーション・ブラックアウト)に陥っていく。田嶋、鄧は体を張って事故対策に当たるが、蒸気爆発や
炉心溶融(メルトダウン)への危険も迫る。日本の福島原発の事故を見るような緊張感であった。
会津川口駅から柳津温泉に戻ってきて、いつものお宿「清流の宿 かわち」に宿泊し、
柳津町の友人と懇親を行いました。
今回は近くにある柳津虚空蔵尊、正確には「福満虚空蔵菩薩 圓藏寺」には立ち寄りませんでしたが、
素晴らしいところなので、前回2016年の同じ11月の写真で紹介します。
旅館のある道路側から見たところです。
駐車場側から入って、お寺のほうに行くには上のほうから降りていく形になります。
途中の林の中の紅葉もきれいでした。(2016年の時ですが)
本堂の前です。
外側の横に回ったところです。
この前のところに崖に張り出したテラスのようなところがありますが、そこからみた只見川もきれいです。
残念ながら写真はありません。
境内には「赤べこ」があります。柳津町は「赤べこ発祥の地」です。
その他、柳津町で私の好きなのは、木版画家・斎藤清さんの「やないづ町立斎藤清美術館」と
お土産物の「あわまんじゅう」です。
柳津町の友人と懇親を行いました。
今回は近くにある柳津虚空蔵尊、正確には「福満虚空蔵菩薩 圓藏寺」には立ち寄りませんでしたが、
素晴らしいところなので、前回2016年の同じ11月の写真で紹介します。
旅館のある道路側から見たところです。
駐車場側から入って、お寺のほうに行くには上のほうから降りていく形になります。
途中の林の中の紅葉もきれいでした。(2016年の時ですが)
本堂の前です。
外側の横に回ったところです。
この前のところに崖に張り出したテラスのようなところがありますが、そこからみた只見川もきれいです。
残念ながら写真はありません。
境内には「赤べこ」があります。柳津町は「赤べこ発祥の地」です。
その他、柳津町で私の好きなのは、木版画家・斎藤清さんの「やないづ町立斎藤清美術館」と
お土産物の「あわまんじゅう」です。
会津川口駅を出て会津柳津に戻る途中、道の駅奥会津かねやまに寄りました。
その後、沼沢湖を目指して山のほうに上って行きました。
沼沢湖はあいにくの逆光でよく撮れませんでした。
湖畔はキャンプ場になっていました。
湖岸に銅像が立っていました。
沼沢湖湖水浴場です。
沼沢湖を後にして、県道237号線を只見川沿いに三島町方面に向かいました。
途中で見えたのが、頭の写真「第三只見川橋梁」でした。
よく絶景写真で有名なのは「第一只見川橋梁」ですので、ちょっと違います。
列車も通っていないので、残念でした。
その後、沼沢湖を目指して山のほうに上って行きました。
沼沢湖はあいにくの逆光でよく撮れませんでした。
湖畔はキャンプ場になっていました。
湖岸に銅像が立っていました。
沼沢湖湖水浴場です。
沼沢湖を後にして、県道237号線を只見川沿いに三島町方面に向かいました。
途中で見えたのが、頭の写真「第三只見川橋梁」でした。
よく絶景写真で有名なのは「第一只見川橋梁」ですので、ちょっと違います。
列車も通っていないので、残念でした。
旅行は仙台を出て、高速道路を南下、福島あづまPで同行者を乗せ、
最初土湯峠を越えて会津に入る予定でしたが、115号線が渋滞しており
紅葉時期で混雑しているのを避け、再度高速道路に乗り、会津方面へ向かいました。
台風も去った秋晴れの一日で、沿線の景色は遠くまですっきり見え、最高の
ドライブ日和でした。
あづまパーキングからの吾妻小富士です。その右わきの一切経山から噴煙が出ているのが見えます。
会津坂下ICでおりて、柳津方面へ向かいましたが、柳津を抜けそのまま
会津三島の道の駅へ行き昼食をとりました。
道の駅の裏からは只見川が眺められました。
道の駅にはたくさんのお客様であふれていました。外国の方もおりました。
そのあと、現在の只見線の終点、会津川口駅に行きました。只見線は数年前の大水害で
この先の鉄橋が流され、会津川口~只見間が不通になっています。(バス代行をしています。)
最初土湯峠を越えて会津に入る予定でしたが、115号線が渋滞しており
紅葉時期で混雑しているのを避け、再度高速道路に乗り、会津方面へ向かいました。
台風も去った秋晴れの一日で、沿線の景色は遠くまですっきり見え、最高の
ドライブ日和でした。
あづまパーキングからの吾妻小富士です。その右わきの一切経山から噴煙が出ているのが見えます。
会津坂下ICでおりて、柳津方面へ向かいましたが、柳津を抜けそのまま
会津三島の道の駅へ行き昼食をとりました。
道の駅の裏からは只見川が眺められました。
道の駅にはたくさんのお客様であふれていました。外国の方もおりました。
そのあと、現在の只見線の終点、会津川口駅に行きました。只見線は数年前の大水害で
この先の鉄橋が流され、会津川口~只見間が不通になっています。(バス代行をしています。)