郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

豊かさの探求ー『信長の棺』の仕事論ー(加藤 廣著)

2023-02-13 | 読書

だいぶ前に買って、多分一度は読んだと思うが、再度読み直してみた。

加藤廣さんは、「信長の棺」、「秀吉の枷」、「明智左馬之助の恋」の本能寺三部作で有名な時代小説作家である。

上記3作は、面白くて連続して読んでしまった。

本能寺の変において、信長の死骸が見つからなかったことから発して、本能寺とその近くにあったキリスト教の教会との間に

地下で通ずる通路があったことなど、奇想天外だが、あったかもという発想で書かれていたように思う。

その当時、あまり読書をしていなかった私に再度歴史小説に興味を持たせてくれた1冊であった。

今回の本は、昭和初期生まれの加藤さんが今までの仕事を通して感じたことをもとに、これからのビジネスマンに先輩の意見としての

新しい発想方を指南しているものと思う。

この本の元本は平成元年頃に書かれた「ほんとの豊かさ発見伝」というものだそうです。

このなかで、「おわりに」の中に書かれていた、「本当の豊かさを実現するための処方箋」の3対策が参考になったので挙げておきます。

1.「家庭を砦として戦うこと」

  言っていることは、妻も一緒に夫婦で豊かさを構築しましょうとのこと。

2.「生活に棲み分けの知恵を持つ」

  他人は他人、我は我です。他人の生活をうらやんで、背伸びした生き方をしないということ。

  自分に似た穴で生きること。これを「棲み分け」といっているそうです。

  自分は自分の生活レベルの水準で暮らし、決して見栄を張らないで生きること。

3.「ポータブルスキル(身についたスキル)を持つこと」

  それもハイブリット(複合)スキルほどいいといいます。

  あるいは、希少価値である職人技術を体得することだそうです。

  例として、弁護士であっても多国語が使える人や医療などに特化した弁護士など、または公認会計士

  そこまでいかなくても、専門の植木職人なども考えられるようです。

以上参考になればよいと思います。

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要約 世界文学全集Ⅰ、Ⅱ(木原武一著)

2023-02-12 | 読書

名作の内容を手っ取り早く知りたいと、「要約文学」の最高傑作を読んでみた。

名前は知っているが、どんな内容なのか知らないのはたくさんある。
読んでみたいけど長編はなかなか読めないという作品がたくさんあるので助かった。
とりあえず、Ⅰから「ヘンリ・ライクロフトの私記」というのを読んでみた。
この作品は、ジョージ・ギッシング(1857-1903) という人の、1903年の作品である。
この作者の名前はあまり有名ではないと思う。私も知らなかった。
ただし、作品名にある想像した人物の名前、ヘンリ・ライクロフトのほうが有名である。
古本屋ではこの小説をよく見かけたものであった。
作者のギッシングは、ロンドンの貧しい人々の悲惨な生活を描いた小説をいくつも発表したものの、
死ぬまで人気を得られなかったという。
しかし、最晩年に書いたこのエッセーによって、イギリスのみならず日本でも100年間にわたって
読み継がれる作家のひとりになった。
作品中のライクロフト氏は、長い間貧乏暮らしをしていた文士であったが、50歳の時に知人から相当額の年金を遺贈され、
南イングランドの片田舎に隠退して、静かな余生を送るかたわら、この私記を書いたという。
したがって、作品中には50年余りの人生を送った後の、過去の自分に対する感慨とこれからへの思いが綴られている。
この作品は、20世紀の初めころに書かれている。21世紀になって、70歳間近かとなった私にとっては、100年以上前のことになるが
この間大きく世界は変わってきている。当然彼は20世紀の戦争の世界やグローバリゼーションなど知らなかった。
それ以前の、産業革命を経て大きくなってきたイギリスで働いてきた人であろう。
中身を見るとこれはギッシング自身がライクロフト氏を語って書いた自分の伝記ではないかと思えるものであった。
人生を振り返ってのなにがしかをやり遂げられなかったという思いと、いやそれでも自分はできることをやってここまでたどり着いたという
自分自身をたたえる言葉で綴られているような気がした。
あらすじを読んだだけでの感想になるが、私も人生の後半で思い当たるようなこともあり、実物も一度読んでみたくなった作品であった。
個人的にはなるが、昨年末のけが以来、身体の不調が治らず、いままでの仕事が続けられなくなったので、仕事を辞めた。
毎日家にいる生活になってしまった。読書、テレビ、ブログなどの毎日である。
終活ではないが、身の回りのがらくたを片付けながらの生活であり、過去を振り返ることも多くなった。
まさに、ライクロフト氏の思いを身近に感じる生活をしていると思う。
それにしても、電力代の高騰には参ってしまう。毎月の請求が大幅に昨年を上回っている。物価高騰による生活の困窮化、
これこそ今一番に解決してほしい。
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「島貫兵太夫伝」を読む(その8)

2023-02-10 | 読書・「島貫兵太夫伝」

 (3)日本人移民史

 明治維新後最初の移民は、1861年、グアム島に42名、ハワイ島に153名を農業移民として送り出したのが最初である。

  この最初のハワイ移民は「元年者」と呼ばれ、なかに浮浪無頼の者も多くいて問題があったという。

  その移民が正常化したのが1885年の第1回官約移民と1886年の日布(ハワイ)渡航条約締結以後のことという。

  カナダ移民は、1877年の長崎県出身の永野萬蔵がカナダ移民第1号で、その後1899年には、31,354人、1906年には、36,124人

  になったという。

 

  ブラジル移民については1908年から。最初のブラジル移民者は皇国移民社の781人であった。

  こうした移民は国策による官約移民が大半で、その後民間の移民会社、あるいは団体が発生した。

  民間移民会社のうち独特のものが「日本力行会渡米部」であった。当初苦学生の霊肉救済の一助として設けられたが、

  後には一般の渡米希望者をも収容するようになった。

 (4)日本力行会の社会事業史上の位置

  日本力行会の創立は、1897年(明治30年)1月元旦

  日本力行会の名称が正式に制定されたのは、1900年(明治33年)9月

 今日の我が国の社会福祉事業は、

 「社会福祉事業法」(昭和26年制定)を基本とするいわゆる社会福祉6法の制定により、公的性格の強いものとなった。

 ※社会福祉6法とは、①児童福祉法、②身体障害者福祉法、③生活保護法、④精神薄弱者福祉法、⑤老人福祉法、⑥母子福祉法

    名称は、1986年の著作刊行時点のもの。(その後名称の変わったものがある)

 戦後以前の明治から昭和前期までの社会事業は、多分に私的慈恵的で、慈善事業的、博愛事業的であった。

 特に幕末・明治期のそれは、この傾向を強くし、事業が宗教家によって担われた点に特色がある。

 キリスト教の民間社会事業を見ると、はじめは宣教師が先駆的役割を担っている。

 米人宣教師ヘボン、同じくベリーを先駆として、明治20年代以降、社会事業は日本人自身の手に担われていく。

 石井十次、山室軍平、石井 亮、原 胤昭、片山 潜、留岡幸助、賀川豊彦などがおり、以上は、施療、孤児、精薄児、

 出獄者、貧民等の救済事業であった。

 貧書生の救済事業が、田村直臣の「自営館」と島貫兵太夫の「日本力行会」であった。

 田村の自営館は、1888年、目黒白金三光町に家を借り受けて寄宿舎となし、3人の苦学生を自炊させながら明治学院に

 通わせたのが始まり。その後パトルソン・ホームと命名、アメリカ・ニュージャージー州パトルソン市の児童外国電動局の

 献金に寄って運営されていたからである。

 島貫の「日本力行会」は自営館の影響を受けたではあろうが、島貫のそれは単なる模倣ではなかった。

  1.日本力行会は、会長と会員が一体となって独立独行している。

    外国伝道会社等の援助を一切受けていない。力行会はのちには会費制とし、克己献金運動を行って施設を拡充し、自らの力で

    会を維持したところに特色がある。それは単なる救貧のための慈善事業ではなかった。

  2.日本力行会は、会員の合衆国移民に力を尽くした。

  しかし、移民事業は力行会本来の目的ではなしに、青年たちの苦学力行の目的達成のための手段にすぎなかったのである。

  移民所業は苦学生以外のものにまで拡張されるが、彼は渡航希望者を力行会に入会させ、霊肉共に健全な者としての十分な教育を

  施してのち、渡米させたのである。 

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城をとる話(司馬遼太郎著)

2023-02-09 | 読書

しばらくぶりに司馬さんの本を読んだ。

司馬さんは今年が生誕100年であるという。1923年の生まれだ。

そして亡くなったのが、1996年2月12日で、同日は「菜の花忌」と呼ばれている。72歳だった。

 

この小説は、1965年に新聞連載に載り、同年単行本として発行された。

今までこの本は知らなかったが、たまたま古本屋で見つけ購入した。

内容は、関ケ原の戦いの前夜、東北の地での伊達氏と上杉氏の国境での争いを描いたもので、

史実ではないと思うが、戦国乱世の男の生きざまを描いた作品である。

解説によると、石原裕次郎さんの依頼で原作として書かれたようで、その後石原プロの手で映画化もされたようである。

 

最初に読み始めたときは、時代は分かったが史実ではないのでわかりにくく、あまり読むのにのめりこめなかったが、

中盤以降、城を取りに行くあたりから、主人公や取り巻く人たちの話など、時代を生きている人たちの心情なども

わかるようになり、面白くなっていった。

 

主人公は、車 藤佐(くるま とうざ) 佐竹家出身の侍、会津にあった上杉方の味方をして、

上杉の臣、中条佐内とともに、城取りに行く。

迎えるは、伊達側、西国浪人、赤座刑部(あかざ ぎょうぶ)、この男が差し図して作っている城を奪おうとする。

その間に、赤座を監督する伊達側の目付、遠藤三四郎という武士もいる。遠藤は西国浪人の赤座を疑っている。

赤座は城も作れ、軍略家でもある、技能に秀でた浪人である。

地元武士団の血縁で結ばれた主従関係を重んずる遠藤には、伊達家の家風には合わないと思っている。

 

そこに城を造られる土地の村の農民や巫女などがからみ、状況が点々と変わる中で、城取りが行われてゆくという話であった。

クライマックスに近づくにつれ、戦国乱世に生きた男の生きざまが見事に現れてきて、今とは違う「男の美意識」が見えるようであった。

 

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しばらくぶりに戸外を散歩した!

2023-02-06 | 日記
今日は天気もよく、風もなかったので、まだ空気は寒いが、1ヶ月ぶりに戸外を散歩してみた。


12月末に脚(大腿)と肩の故障で、自宅で静養していました。
血液中の数値CRP(C反応性蛋白濃度)が高く、炎症がおさまりませんでしたが、1ヶ月たってやっと数値が標準値になり、痛みもやわらいできました。
大寒から月末まで寒波が強く、寒すぎて外にも出れませんでしたが、昨日、今日は寒さも弱まり、やっと外歩きができました。
青空のもと、太陽の光りを浴びることができ、ありがたかったです。
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