気の向くままに

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日本人の宗教観について思ったこと

2019年02月03日 | 信仰

2年ほど前、新聞に日本人の宗教観についてのアンケート調査の結果が掲載されました。

それによると回答者数は2000人で、次のような結果になっていました。

 

○神や仏の存在を信じますか? という質問に対して、信じると答えた人は58%、信じないと答えた人は42%。

○信仰している宗教はあるか? の問いに対して「はい」と答えている人はわずか16%。

 

にもかかわらず、

○神頼みしたことはありますか? という質問に対しては、75%の人が「イエス」と答えています。

 

この結果からは、ふだん神や仏を信じていない人でも、神頼みしたことのある人はかなりいることがうかがえます。

また、特定の信仰は持っていなくても、神仏の存在を信じている人もかなりおられることがわかります。

 

それから、

○神または仏の存在を「信じる」と答えた人で、神(仏)を意識するときはどんな時か? に対しては、次のような結果が出ています。

(1) 幸せに感謝する時

(2) 自然の美しさや神秘を感じた時

(3) 支えが欲しい時

(4) 危機に陥ったり、脱した時

 

○「信じない」と答えた人に対して、その理由はという質問には、

(1) 科学的でない

(2) 存在が証明できない

(3) 神頼みしてもかなわない

(4) 無神論者 (神がいるならこんな理不尽な世の中はあり得ないはず)

と、答えられています。

 

信じない理由として最初に「科学的でない」とありますが、今の時代にこれはちょっと私は首をかしげます。
日本人は科学が発達する以前の昔から、「浦島太郎」の物語について語ってきました。また海幸彦、山幸彦の物語もあります。浦島太郎は竜宮城へ行っている間は年を取らなかったが、故郷に帰り、玉手箱を開けたらお爺さんになったという話。

 

また、山幸彦は兄君の海幸彦から釣り針を借りて海で釣りをしていたとき、反対に釣り針を魚に取られてしまった。兄君のの大事な釣り針を失くし途方に暮れていたら、そこに竜宮城の神様があらわれて竜宮城へ行く道を教えられ、竜宮城に行き、竜宮城で失くした釣り針が見つかったという物語です。

つまりどちらも、時間、空間発生以前の時空を超えた世界、生み(海)の底へ行ったということをあらわしています。

 

長くなったので続きは明日にします。読んでいただきありがとうございました。

日本人の宗教観について思ったこと ②

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