気の向くままに

山、花、人生を讃える

ラブレターの思い出

2019年03月21日 | 人生

私が中学3年のとき、ほんのちょっとしたきっかけから好きになった同級生の女の子がいた。

 

中学を卒業して、わたしは男ばかりの全寮制の高校に入学した。男ばかりの全寮制というというところに魅力を感じたのである。

 

ところが、入学して間もなくの頃、ひそかに好きだったその彼女から手紙が来た。と言ってもラブレターと云う訳ではない。あまりよく覚えていないが近況報告であり、そちらはどうですか?という程度のものだったと思う。それでも、好きだった彼女から手紙が来たのは私の心に油を注ぐには十分だった。彼女から手紙が来なければ、心の中にしまっておかれるだけのはずだったのに、燃え上がるように火がついて、何度かの手紙のやり取りの後、ついに一か八かで、「好きだ」というようなことを書いた。

 

すると彼女からは、「あなたはあくまで私の大切な友達です」という返事が来て、あえなく失恋となった。

失恋したからには悲しいけれども、嫌われたくはないと思って、あっさりあきらめ、それっきりとなった。

 

ところが、私が4年生となり横浜で半年間の実習をしているとき、社会人となった彼女からまた手紙が来た。もちろんラブレターではないが、また私の心に火が付いたのは言うまでもない。

 

前回はわたしはまだ高1の子供だったが、4年生になったわたしはその時よりも大人になっている。私は好きでたまらない気持ちをどうしても彼女に伝えたい気持ちになっていった。しかし、「好き」とか「好きでたまらない」と書くのは簡単だが、それではいかにも軽すぎて、自分の気持ちとは大きなギャップがある。だから、「好きでたまらない」とは書けない。それを言わずして「好きでたまらない気持ち」を伝えなければならなかった。それで何とか自分の気持ちを言葉で言い表したいと思い、書いては破り、書いては破りを何度も繰り返し、そうして、どうにか「これなら」と思うものが書けて、それを投函した。

 

すると彼女からは次のような返事がきた。恥ずかしいが、今となっては笑い話なので書かせてもらうが、こんなふうだった。

 

「あなたの手紙を読んでいると汗が出てきます。もう少し淡々とした手紙が書けないものでしょうか」

 

他のところは覚えていないが、ここだけは今も鮮明に覚えている。そういうわけで、二度目もまた失恋となったが、なぜか嬉しさもあった。もちろん失恋した寂しさはあったが、自分の気持ちをどうにか言葉に表し、そして彼女に汗をかかせ、自分の気持ちを伝えることができたという妙な満足感があったのである。

 

わたしは中学3年の時、国語の宿題で「走れメロス」の感想文を書くことになったが、その当時は、文章を書くのが大嫌いで、どうにも困って苦し紛れに「何も感動しなかったから、感想文を書こうにも書きようがない」と書いて、こっぴどく叱られたことがあった。また普通高校へ進学しなかった理由の一つには、そんなことから大学の卒業論文というものに恐怖を感じていたからでもある。

 

しかし、必要に迫られて書いては破り、書いては破りとラブレターを書いているうちに、いつのまにか苦手意識はなくなり、心に思うことを言葉に表現できるようになりたいとさえ思うようになった。

とは言っても、相変わらず淡々とした文章は書けないのだが・・・。

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