
レインボーブリッジ(東京都港区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
食品添加物のうち、合成着色料というものがあります。
これは主に、味に対してではなく見た目をよくするもので、
スイーツやお菓子によく使われています。
さて。
その添加物を使って見た目をよくしたお菓子があるとしましょう。
余程なものは別としても、
皆さんがそのお菓子を評価するのは、最終的にどの部分を重視して、判断を下すでしょうか!?
…たいていは、それがお菓子、つまり食べ物として作られている以上、
味で判断することになりますよね。
これを人間に置き換えて考えれば、
自分磨きにも質というものがあると理解しやすくなると、私は思います。
見た目を取り繕ったり、
勉強して知恵や知識をつけたり、
特定の人の前でだけよい顔をしたり。
…こんなものは逆効果に働く場合があるのです。
ほんの一瞬の印象はよかったとしても、
人の気持ちを考えられないとか、
自分の意見ばかり通そうとするとか、
人を否定する癖があるとか、
こんな人に、積極的に近づきたいとは思いませんよね。
ちょうど手を掛けたのが見た目だけで、味の伴わないお菓子と一緒です。
またあるいは、誰かから認められたいからと、自分磨きをする人もいますが、これも間違えです。
どう磨こうと結局は相手の意見に左右されるだけで、
成果は二の次になってしまう可能性があるからです。
これもあえてお菓子に例えてしまうなら、
人の意見だけで、見た目や味がどんなに悪いものであろうとそれに屈してしまった、
そんなお菓子に似ていると思いませんか。
何を言いたいかというと、人の評価は最終的には人間性で決まるし、
評価される人は、例外なく自分を磨いているということです。
付け焼き刃のように自分をよく見せようとしたところで、
人間性がダメなら全てはパーになります。
人間の評価は乗数で決まる側面があるからです。
いくらパッと見の印象や好感度があっても、
人間性が伴っていなければ、それは「自分のことしか考えていない、自分大好き人間」と言われてしまう恐れがあるのです。
それでも人間、人にはよく思われたいものです。
そうであれば、誰彼関係なく、
人が見ていないところでも、自分の芯をしっかりよいものにしていくことです。
結局、問われるのは皮を剥いだ生身の人格なのであって、
あくまで人によく思われたいのであれば、
自分を磨くこと自体を自分の人格にする、
自分を磨いていること自体も自覚できない位、当たり前のように上を目指すしかない、
こういう結論に行き着くのではないでしょうか。