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野萱草(のかんぞう、神奈川県三浦市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
初対面の人。
疎遠な人。
コミュニケーションを積極的に取ろうとしない人。
たとえば私達が、こんな馴染みのないような人を恐れる理由は、
一体どこにあるのでしょうか!?
答えは「正体を掴めないから」です。
人間、相手の正体を掴むことで、
接し方、対処のし方、その人に合わせた構え方がわかり、
それが安心感や信頼、程よい緊張が生まれるものだからです。
さて。
「正体」と書きましたが、
本当は「本性」と言う方がより適切だったりします。
「正体」というと肩書や地位、ライフスタイルを含めたものになってしまいますが、
「本性」はその人自身のありのままの姿にほかならないからです。
その「本性」。
私のケータイ辞書には、以下のようにあります。
ほんしょう【本性】
1.生まれながらの性質。本来の性質。ほんせい。
2.本心。また,正気。
…つまり「本性」とは、包み隠さない本人の姿、ということだと言えます。
ということは当然、「悪い部分や嫌な感情」も全て表に出ていなければ、
「本性」とは言えないわけです。
これを踏まえて。
私達が「本性」という言葉を使う時、
それは仮面に隠れた人の欠点を指す場合がほとんどではないでしょうか。
なぜなら、人にわざわざ嫌われるようなことをしたり、
自分の策略を知られたりすることをしても、
誰も幸せにならないし、得にもならないからです。
そしてまた、場面によって、そこにマッチするように、
無意識的に微妙に立ち居振る舞いを変えるのが私達です。
人間は社会的な生き物、つまりよくも悪くも他人と関わって生きていかなければならない以上、
なるべく摩擦や衝突、悪い刺激のないようにすること自体には、
罪も悪意もないわけです。
しかし、関係を深める場合、
どうしても心理的に、相手に近づかなくてはなりません。
そこで、「本性」というものが問題になってくるのです。
私達は凶器が近くにあったら普通は怖くなるものですが、
人間の凶器、つまり悪い意味での「本性」は、
普段は表に出ておらず、また感じ方も人それぞれなので、
冒頭でお話しした「馴染みのない人」を前にすると、
不安感を抱いてしまうのです。
具体的には、
・どんな嫌な思いをさせられるか
・危害は加えてこないか
・笑顔の裏に隠れている感情はないか
これらは無意識にしろ、防衛本能が働いて考えてしまうものです。
ここまでお話しすると、「本性」というのは暗いもの、恥ずかしいもの、
そして厄介な邪魔物ということになってしまいますが、そこで終わりにするつもりはありません。
実は、私が一番お話ししたいのは
「本性がいかなるものでも、近づくだけの価値があると思えるなら乗り越えてみませんか!?」ということ。
人間、誰だって甘えたがりな部分を持っていますが、
それは「本性」であっても同じ。
「無理をして一気に全て」と書くつもりはありません。
相手の醜い部分があっても、出来る範囲で受け入れようとする、
その姿勢こそが、人と深い関係になるためには必須なのです。
これは逆を考えればわかりやすい話です。
故意でやるなら別にしろ、
エラーを許してもらえただけ、私達はその人に安心感を持つことが出来るものではないでしょうか。
「本性」というのは、自分のものにせよ他人のものにせよ、
どうしても付き合わなければならない厄介なものです。
しかし、その厄介さを乗り越えた時、
自分の懐が大きくなり、
人と親密になり、
成長ができるのではないでしょうか。
「雨降って地固まる」と言います。
「本性」というものとの付き合い方について、
一歩だけ引いて、考えてみませんか。