![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/81/4f23fef025fb75c1711f53fe60560ab8.jpg)
東京湾の夕景(東京都港区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
眼は物を見るための器官と思われがちですが、
本当は情報を受ける器官なんです。
暗闇では何も見えないように、
たくさんの光を受けて、反射したものを感じ取るから、
色や形が判別できるのです。
つまり、「見る」というのは、
たくさんの光を受けて反射したものから、
意識したいものを判別して、そこに焦点を当てることだと言えます。
これを踏まえて。
人間の心にも、眼と同じ働きがあるのではないかと思うのです。
一日を過ごせば、たくさんの状況があります。
会話をして、仕事をして、食事をして、自由な時間を使って、
…と、たくさんの物事、情報に接するわけです。
それらをキャッチするのは眼もそうですが、
同時に心でもいろいろと受けるわけです。
そしてまた、心を眼と同じく考えると、
先程お話しした、意識したいものを判別して、そこに焦点を当てるという点は変わらないのではないかと思うのです。
そこで、です。
私達は生きている上でたくさんのものをキャッチするわけですが、。
いかに繊細に感じ、同時にどこを意識するかは、
与えられた環境と本人の意志次第でいくらでも変わるのではないでしょうか。
つまり、感じ方、意識のし方は本人が変えられる部分もあるのです。
こんなバカバカしい話、と思うかもしれません。
しかし、「心の眼」が曇ると、
それは本人の価値を下げることになってしまうのです。
私達が一日に心に浮かべる物事の数は、
なんと数万に上る、と言われています。
そして、それを伝える手段として、
言語やジェスチャーなどというものがありますよね。
海や空を見て「青い」と言うように、
綺麗なものは綺麗だ、
嫌なものは嫌だ、
好きなものは好きだ、
このように表現するのは当たり前のことです。
しかし、例えば綺麗なものを綺麗と感じられなくなった時、
表に出す言葉も、同時に汚くおかしいものになってしまうのではないでしょうか。
つまり、心の眼が曇ると、本当に価値のあるものに価値を見いだせなくなり、
さらにはコミュニケーションが陳腐化し、
その陳腐化したコミュニケーションが人間関係を崩壊させる、
こんな負の連鎖を生んでしまうのです。
心の眼をいかに綺麗にしておくかは、
つまりは幸せになるか不幸になるかにも繋がるということです。
皆さんは大丈夫でしょうか!?