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青空(神奈川県三浦市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
「自分には取り柄がない」
「長所を挙げてくれと言われても困る」
圧倒的な現実を前に、こんな葛藤を抱えている人は少なくありません。
しかし、こんな考えに悶々とすること自体、
実は、あまり意味はないのです。
考えてもみて下さい。
自分の長所を散々挙げていった挙げ句、
それで「自分もマトモだ」と安心できるほど、人間は単純ではありません。
長所はあればあるだけ裏を返せる、つまり短所にもなり得ますし、
さらに、自己否定的な気分でいる時に自分の長所について考えると、
完璧主義に走り、どんな理由を付けてでも自分の長所を否定しようとするものです。
長所を探すということの弊害はこれにとどまりません。
なまじ自信がないあまり、自分の長所を見つけると
「どうだ、私は〇〇ないい人でしょう?」と人に好意や長所を押し付け、
無意識にしろ、自分の価値を証明するために相手を利用してしまうわけです。
こういうわけで。
私が思うに、「長所」なんていうものを考えなくたって、
もっと言えば、「長所」そのものが自分にはないと思っていても、
全く問題はないのではないかと思うのです。
人間の長所というのは、結局「その人が人を幸せにするやり方の得意分野を挙げたもの」に過ぎないのです。
そしてまた、「長所を探しましょう」というのは、単に人を幸せにしてきた統計を総括しているに過ぎないことなのです。
人間、「過去にしてきたこと」よりも、
「今現在出来ること」が問われるものです。
これは長所についても言えるのではないでしょうか。
例えば、「私は人に優しくできます」と自己紹介されるより、
実際に優しい口調や仕種、気配りをその場でしてもらったほうが、
ずっと説得力があるものですよね。
あるいは「自分には誠意があります」と言うよりも、
目の前の人に誠意を尽くしている姿を見たほうが、
その人の誠意を感じるのは、自明の理ではないかと思うのです。
…ということは。
「自分の取り柄」について悶々とするよりも、
今、目の前にある事象や人に対してどれだけのことが出来るか考え、実際に行動に移すほうが、
みんな一緒に、ずっと幸せになれるのではないでしょうか。
だいたい、長所があるからといって、
いつもそれが発揮できるとは限らないのです。
そうであれば、過去の栄光や挫折に縛られるのは全く意味がないという点、
そして、自分で出来る限りのことをするしかないという点では、
自分にどんなに長所があると思っている人でも同じなのです。
もう一つお話しすると、
「自分には長所がない」という人ほど、
逆に言えばどんな長所も開発しようがある、育てようがあるということになるのです。
大切なのは、「目の前のことに、いかに自分を差し出せるか」ということです。
どんなに自信がなくても、目の前の難関に立ち向かうには、
もはや持っているものでしか太刀打ちできません。
自分のダメさ加減に目を向けている間にも、生きている限り、目の前には大切なものが流れていきます。
自意識は時に、軽いほうが上手くいく場合があるのです。