道端の姫百合(東京都千代田区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
「罪を憎んで人を憎まず」ということわざがあります。
咎めるのはしてしまった過ちだけにして、
本人自身は責めないようにしよう、
こういう意味ですよね。
しかし、たとえ罪だけを憎もうにも、
罪というのは物体ではありません。
あえて言うなれば「罪が本人に乗り移って悪事をはたらいた」わけですから、
罪と本人を、どうしても同一視してしまうわけです。
…というわけで、「罪を憎んで人を憎まず」というのは、
実際にはとても難しいということになります。
しかし、このことわざが長く生きながらえているのには、
きちんとした根拠があるからだと思うのです。
☆ ☆ ☆
先に「罪が乗り移る」と書きました。
「やってしまったことのみを咎め、本人は責めない」ということは、
「なるべくならもう同じ罪に乗り移られてほしくない」ことを願えばこそ、出てくる発想ではないでしょうか。
つまり、あくまで本人を責めないのであれば、
本人がもう同じ過ちを犯さないよう、克服してもらうことが大切なのです。
人間それぞれに欠点があります。
また、普段はよいとして、状況によっては間違えた言動に走ってしまう場合があります。
しかし、本人の幸せを考えれば、
・同じ状況に出くわした時、少しはスマートに対処ができるようになる
・そもそも同じ状況を作らないように力を入れてみる
・成長したと確信できるまでは、下手に手を出さない
こんな考えがあってはじめて「人を憎まず」になるのです。
逆にいえば、いつまでもズルズルと同じ悪癖を繰り返しているようでは、
罪だけではなく、今度こそその罪といつまでも仲良くしている本人も憎まなければならなくなってしまうのです。
そしてこれは、その対象が他人であれ自分であれ、
共通して言えることなのではないでしょうか。
誰だって人に責められるのは嫌なことですし、
罪悪感や自責の念も、ずっと抱え込んでいると、変になってしまいます。
だからこそ、です。
きちんと罪を憎み、そして
「そんな罪とはもう関わらないぞ」
「罪ではなくよいものを積み上げるぞ」
こんな決意をしてこそ、ことわざが活きるというものです。
その人やあるいは自分自身であっても、
あくまで罪をとことん遠ざけたいからこそ、
罪を憎みにいくのです。
こう考えてみると、
「罪を憎んで人を憎まず」というのは、
なかなか深いことわざですよね。