
東京スカイツリー(東京都台東区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
よくある恋愛話の1つに、
「フラれる方とフる方、どっちがツラい!?」というのがありますよね。
特に恋愛がうまくいっていない時にありがちな話題ですが、
これ、結論は最初っから出ていて、
「思い入れの強いほうがツラい」というのが答えですよね。
そもそもどちらか一方だけが痛い思いをするなんてありえません。
そのツラさ加減はその時々や立場、感じ方によっても違うのだし、
しかも、ある瞬間に突然、胸がキューっと痛くなることだってあるわけです。
だからこそ、「どちらがツラいか」などという命題そのものが、実は野暮なものなのです。
でも、どうしてこんな話題が尽きないかというと、
理屈は抜きにして、自分の気持ちや意見、正当性を理解し、認めてもらいたいという人間本来の気持ちが、
いつの時代も普遍だからではないでしょうか。
もちろん、このテの話は恋愛に限りません。
本当は暗に言いたいこと、訴えたいことがあっても、正面きって
「お察しいただけませんか」
「同情して下さい」
とは、普通は言えないものですよね。
そしてまた、
「自分にも落ち度がある」
「筋が通らないのはわかっている」
こんなような胸の内がなんとなくあっても、
どうにかして、いかに自分に正当性があるかを考えにいくものです。
人間、誰でも自分がかわいいものだからです。
こういうわけで。
どんなに客観的事実がハッキリとしていようが、
いかに負い目があろうが、
要するに理屈が無茶苦茶でズレているとわかっていても、
「いざ!」という情況になると、
同情や共感、感情の共有を無意識に求めだがるのが私達人間というものです。
そうであれば、「枕詞(まくらことば)」、つまり「前置き」や「言い訳」が多い人を前にした場合、
ひとまず理屈は抜きにして、全面的に共感してあげることが、
相手を守り、必要以上に傷口を広げないポイントなのです。
本当は相手もわかっているんです。
だからこそ、無駄かどうかは横に置いて、なんとか自分を取り繕おうとするわけです。
理屈や問題点の整理は、
本人が混乱したり、自分の非を認めて受け入れられない限り、
絶対に不可能です。
本人が立ち直ることで、しっかりした理屈を組み立てて反省することが出来るのです。
大切なのは、相手を守ることです。
そのためには、圧倒的な正論の前にひれ伏したり、屈服させることは得策とは言えません。
物事は「急がば回れ」、
相手のことを本当に考えるなら、
理屈や正論から寄り道することがあっても多少はよいのではないかと、私は思うのです。