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青空(東京都江東区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
「信賞必罰」という言葉があります。
「よいことをしたら褒めて、悪いことをしたら償いをするのが当然だ」とする意味なのですが、
これは自分自身に対しても言えることです。
ここでは自己嫌悪を例にお話ししてみようと思います。
自己嫌悪というのは嫌な感情ですが、
実は自己嫌悪という機制も必要で、
悪いことをしている自分も好きだとか、
悪いことをしても反省しなくてよいとか、
こうなってしまうほうが問題なのです。
人を傷つけている自分が好きだ、
だらしない自分が憎めない、
人の気持ちを読まない自分だからこそ大好きでいられる…、
こんな考えでいれば、勝手に自滅するがごとく自分自身の価値を勝手に下げ、
人と衝突するばかりで人間関係が上手くいかず、
結局、みんな一緒に不幸になるだけなのです。
ただし、始終ずっと自己嫌悪していると、
よいことをした自分自身も嫌ってしまうことになります。
もちろん自分自身をどう思うか、自分に対して適切な考え方が出来るかは、
自責の念や罪悪感に囚われて上手くはいかないものですが、
自己嫌悪に関して、このことを理解する価値はあるのではないかと思います。
さて。
自己嫌悪の逆を考えれば、自分が成長するような考えにも至るというものです。
つまり、自分がよいことをしている最中にとことん自分を褒めておくと、
よいことをしている自分を好きでいられるようになり、
そしてまた、そんな考えが自分を伸ばす、
こんな考えもできますよね。
成長が早い人は、例外なく自分を褒めることがうまいのではないでしょうか。
「自分を褒めましょう」
「自分を大切にしましょう」
こんなことを言われても、いつも完璧にしなさいという意味ではないのです。
だから、いつも自分を褒めなくてもよいのです。
ここぞという時だけ自分を評価することが大切なのです。
ちなみに。
人間が育つも育たなくなるも、
この「自分を褒める」ということを上手くさせてくれる環境があるかないかで決まる気がします。
同じ状況で同じことをして、褒められるか怒られる、上手くいくかいかないかがハッキリと分かれればやりやすい、
つまり成長もしやすいわけです。
しかし、同じ状況で同じことをしたのに褒められたり怒られたりすると、
どちらが正しいかわからなくなってしまいます。
そこを上手くかい潜れるかどうか、というのはかなりの難題だと思います
(もちろんそんなものでも乗り越えられれば成長はできますが)。
やはり目指すべき像はハッキリとしていたほうが、
成長しやすいのです。
どんなスポーツにもフォームがあるように、
人間の言動にも、気持ち良くできるフォームがあるのです。
そこを愚直に守り、
そしてそんな自分を褒めて、好きでいられればこそ、
人間的に成長をしていけるのではないでしょうか。