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タチアオイ(東京都武蔵野市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
「頭がよい」と言われれば、普通は気分がよくなるものです。
しかし、「頭がよい」というのもいろいろとあります。
たとえば、
・記憶力がある
・独創的
・物事を多面的に捉えられる
・ユーモアのセンスがある
・客観力がある
・長いスパンで物事を考えられる
・先を読んで行動できる
・人心掌握にたけている
…など、実際にあげてみると、「頭のよさ」にもいろいろとあるものです。
ただし、その「頭のよさ」が必ずしも上手く働くとは限りません。
心配をし過ぎたり、被害妄想が強くなるとか、
考え過ぎてかえって動けなくなってしまったり、
つまり、その「頭のよさ」ゆえに自分自身の足を引っ張ってしまうことがあるのです。
☆ ☆ ☆
ところで、「頭がよい」というのに似た言葉に、「賢い」というものがあります。
「賢い」というのは「頭がよい」うちの一つ、とも考えられますが、
「賢い」というのは、頭のよさが行動や感情と結び付き、奏効している状態だと、私は思うのです。
「賢い」と言われる人は、必ず自分の利益を考えています。
こう言ってしまうと悪いイメージになってしまいがちですが、
悪い「賢さ」にはちゃんと派生語もあり、
・小賢い
・ずる賢い
こんなものを耳にしたこともあると思います。
つまり、単純に「賢い」と言う場合は、
そんなに悪いものとして見ないほうがよいのではないでしょうか。
私が思うに、「頭がよい人」がきちんと自分の能力を活用できてこそ「賢い人」になると考えています。
冒頭の例だと、
・記憶力がある→データベースとして役立てる
・独創的→人をあっと言わせて、新鮮な感動を与えられる
・物事を多面的に捉えられる→決め付けをせず、一番よい選択肢を採れる
・ユーモアのセンスがある→人を楽しませることができる
・客観力がある→冷静でいられる
・長いスパンで物事を考えられる→最終的に実力や成果を積み上げられる
・先を読んで行動できる→危機管理ができる
・人心掌握にたけている→人の気持ちを理解し、そのニーズに応えられる
…というように、実際に自分の頭のよさを生産的に使えると、
それが「賢い」という評価を得られるようになっていくのではないでしょうか。
「頭がよい」というのは褒め言葉とは限りません。
「賢い」を目指しましょう。
それが自分の力を発揮する指針になるのではないでしょうか。