野萱草(神奈川県三浦市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
人間、元気であるに越したことはありません。
心身が元気であれば、
行動力が出て、前向きな物の見方が出来、
そしてまた、人とのコミュニケーションが段違いに上手くいくものです。
しかし、日常には私達の元気を奪う罠がたくさんあります。
いちいち例を挙げなくても、
どこかしら元気を奪われたとか、疲れていると思える場面が、
すぐにいくつも浮かんでくるハズです。
さらに言うと、
「苦しくて元気に立ち直るまで時間がかかってしまった」
「なかなか調子が上がらない」
などという経験をされた方も非常に多いと思います。
そこで、「元気」とは一体なんなのか突き詰めていけば、
「元気をなくしてしまっても、元気を取り戻す道筋を見つけやすくなるのではないか」と考え、
ここでは「元気」というものを掘り下げてみようと思います。
☆ ☆ ☆
…と言っても、別に難しいことをするわけではありません。
私が着目したいのは、わかりやすい「元気な人」の共通点なのです。
というわけで、試しに「元気そうな人」を、いくつか挙げてみようと思います。
・無邪気に遊ぶ保育園児
・顔が紅潮し、気分よくまくし立てる酔っ払い
・散歩が大好きで、いつも外を歩く趣味がある人
・カラオケで、とにかく声が大きい人
・威勢のよい売り子さん
共通点が見えてきましたでしょうか!?
私が思うに、「元気だ」という状態にいる時、
以下の3つのことが言えるのではないかと思います。
◇気力が充実している
◇心に負荷や抵抗、抑制が掛かっていない
◇目の前のことに集中している
つまり、「思うがまま好き勝手にやっている」と、
ブレーキがありませんから、気力が尽きない限り「元気」でいられるというわけです。
…というわけで、「元気」を自分で出していくためには、
気力の限り、わがままにやりたいことをすればよい、というような図式が成立するわけです。
そもそも、「元気」は「元の気」と書きます。
人間が元来持っている気力を解放すれば、
そのままそれが「元気」になるというわけです。
もちろん、自分が元気でいることで
「空気が読めない」
「失礼をしている」
などと、人に迷惑がられたら修正することは必要です。
しかし、元気を出すTPOを誤ったとしても、
変えるべきは元気の出し方なのであり、
「元気を出すこと」自体では決してないのです。
私達は小さい頃、みんな元気でした。
それが、大きくなるにつれ、だんだんと元気を「表現」してはいけない場面が増えてきます。
しかし、誰だって「元気の表現」には失敗してきているのです。
空気を読み、上手い元気の表現のしかたさえ学べばよいのです。
元気な気持ちを無理矢理押し殺したりするのではなく、
失敗する中で、誰の迷惑にもならない、上手な元気の表現のしかたに変えていけばよいのです。
つまり、「元気」とは、突き詰めれば「ありのまま」だと言えます。
気力をいかに充実させるかは環境にも左右されやすいものですが、
「元気」というものをどう考えるかは全くの自由なのです。
元気でいられる時間が長いほど、
その時間の濃さもまた、素晴らしいものになっていきます。
なにより、自分のよさが花開き、人の力になれる時間も、
それに比例して膨らんでいくのです。
皆さんもぜひ、「元気」でいて下さい。
こんにちは。
今日もありがとうございます。
人間、元気であるに越したことはありません。
心身が元気であれば、
行動力が出て、前向きな物の見方が出来、
そしてまた、人とのコミュニケーションが段違いに上手くいくものです。
しかし、日常には私達の元気を奪う罠がたくさんあります。
いちいち例を挙げなくても、
どこかしら元気を奪われたとか、疲れていると思える場面が、
すぐにいくつも浮かんでくるハズです。
さらに言うと、
「苦しくて元気に立ち直るまで時間がかかってしまった」
「なかなか調子が上がらない」
などという経験をされた方も非常に多いと思います。
そこで、「元気」とは一体なんなのか突き詰めていけば、
「元気をなくしてしまっても、元気を取り戻す道筋を見つけやすくなるのではないか」と考え、
ここでは「元気」というものを掘り下げてみようと思います。
☆ ☆ ☆
…と言っても、別に難しいことをするわけではありません。
私が着目したいのは、わかりやすい「元気な人」の共通点なのです。
というわけで、試しに「元気そうな人」を、いくつか挙げてみようと思います。
・無邪気に遊ぶ保育園児
・顔が紅潮し、気分よくまくし立てる酔っ払い
・散歩が大好きで、いつも外を歩く趣味がある人
・カラオケで、とにかく声が大きい人
・威勢のよい売り子さん
共通点が見えてきましたでしょうか!?
私が思うに、「元気だ」という状態にいる時、
以下の3つのことが言えるのではないかと思います。
◇気力が充実している
◇心に負荷や抵抗、抑制が掛かっていない
◇目の前のことに集中している
つまり、「思うがまま好き勝手にやっている」と、
ブレーキがありませんから、気力が尽きない限り「元気」でいられるというわけです。
…というわけで、「元気」を自分で出していくためには、
気力の限り、わがままにやりたいことをすればよい、というような図式が成立するわけです。
そもそも、「元気」は「元の気」と書きます。
人間が元来持っている気力を解放すれば、
そのままそれが「元気」になるというわけです。
もちろん、自分が元気でいることで
「空気が読めない」
「失礼をしている」
などと、人に迷惑がられたら修正することは必要です。
しかし、元気を出すTPOを誤ったとしても、
変えるべきは元気の出し方なのであり、
「元気を出すこと」自体では決してないのです。
私達は小さい頃、みんな元気でした。
それが、大きくなるにつれ、だんだんと元気を「表現」してはいけない場面が増えてきます。
しかし、誰だって「元気の表現」には失敗してきているのです。
空気を読み、上手い元気の表現のしかたさえ学べばよいのです。
元気な気持ちを無理矢理押し殺したりするのではなく、
失敗する中で、誰の迷惑にもならない、上手な元気の表現のしかたに変えていけばよいのです。
つまり、「元気」とは、突き詰めれば「ありのまま」だと言えます。
気力をいかに充実させるかは環境にも左右されやすいものですが、
「元気」というものをどう考えるかは全くの自由なのです。
元気でいられる時間が長いほど、
その時間の濃さもまた、素晴らしいものになっていきます。
なにより、自分のよさが花開き、人の力になれる時間も、
それに比例して膨らんでいくのです。
皆さんもぜひ、「元気」でいて下さい。