若い松ぼっくり(神奈川県三浦市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
笑顔でいられること。
心から笑えること。
こんなこと、当たり前に思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、当たり前でもなんでもないことだと、
私は思っています。
私は昔、自分に余裕がなくなって、
精神疾患にかかってしまったことがあります。
時間のなさと孤独感(ちゃんと応援していてくれた人はいたんですが、それを感じ取れませんでした)、
それに加えていろいろな疲労で、参ってしまったんです。
もちろん私も人間、人と交わって生きていくには、
たとえ偽物であろうと、「お付き合い」や「役割」で笑顔を出さなければ、
大袈裟に言うと人間失格の烙印を押されてしまいます。
だから、無理して笑顔を作っていました。
…でも、苦しいんですよね、そういうのって。
恥ずかしい話、私が弱いからいけないのですが、
自分が自分でなくなったような気がしてならなかったんです。
こういうわけで、
笑顔が作るのが難しい環境にいる人に、
笑顔をつくれないことを責めるのは筋違いだと、私は思うのです。
しかし、笑顔でいられる環境にいる人には、
その分、積極的に笑っていてほしいのです。
さて。
笑顔って、どこからどこまでが本当に喜んで作っているか、
具体的に何%くらい本気で笑っているかは、
自分でも計るのが難しいんです。
「笑」という文字を使った言葉って、たくさんありますよね。
照れ笑い。
微笑。
嘲笑。
苦笑い。
満面の笑み。
…など。
そこで、自分のしてきた笑顔がこれらのうちどれに該当するか、
ほんの少しだけ、意識していただきたいのです。
なぜなら、たとえどんな笑顔でも、
笑えるなら本心で笑ってほしいからなのです。
自分に負い目を感じている人ほど、
照れ笑い、あるいは対人恐怖からヘラヘラとしたような笑顔になってしまうことがありますが、
これは防御反応として出ているだけなので、厳密には笑顔とは呼べません。
笑顔を作るなら、ぜひ気持ちを前面に出した表情でいることが大切にしていただきたいのです。
笑顔とは、本当は当たり前に出せるものではありません。
一点の曇りもないような笑顔、
そんな笑顔が作れる環境がある、
幸せに生きていくためには、それがいかに大切かを思える感性が必要です。
皆さんにも笑顔を作れるありがたさについて、
考えていただきたく思います。