ツツジ(東京都武蔵野市)
こんにちは。
今日もありがとうございます、
皆さんは抱えきれない位の幸せを手にした時、
どのように思うでしょうか!?
おそらく大多数の人は、逃げ出したい気持ちになってしまうと思います。
不幸はその通り恐ろしいものですが、
度を越した幸せもまた、恐ろしいものなのです。
いくら人から
「あなたには幸せになる価値があります」
「幸せになってよいのです」
などと諭されたところで、
現実には「自分が思っている以上に甘いプロセス」で幸せが手に入るとなると、
上手い話はない、そんな判断をするからです。
たとえば、自分の地元の街を1時間歩くだけで1億円もらえるとしたら、
絶対に怪しいと思いますよね!?
そういうわけで、「自分で抱えきれない位の幸せ」とはなんなのか、
少しだけ考えてみたいと思います。
先に「1時間歩いたら1億円」という例を出しました。
それでは、「一生歩いたら1億円」だったら、どうでしょうか!?
少しは信憑性というか、安心して報酬を受け取れますよね。
…ということは、です。
自分の側から人に与えた分だけ、人からもたらされる幸せも受け取れるということになります。
あるいは、
「お天道様が見ているし」
「日頃の行いがよかったから」
などと言われますが、
何かの偶然でたまたま幸せになるとしても、
やはり普段からどれだけ善意でいられたかで、幸せを受け取ってしまってよいかの自分の判断が決まる気がします。
☆ ☆ ☆
さらに言えば、
自分で抱えきれない幸せを背負っていると思うなら、
すすんで人に分けていくことが、賢明な考えではないでしょうか。
幸せすぎることに違和感を感じるならば、
自分のところで一人占めしなければよいのです。
幸せに限りません。
余裕がある人はない人を、
元気な人は疲れてしまった人を、
つまり、抱えきれない位多く持っている人は、
少ない人にも持ってもらえばよいだけの話です。
自分に多く与えられたものを一人だけで抱え込むと辛いのは、当たり前の話です。
それは「幸せ」についても同じだと思います。
ただし、誰にどのくらいどう分けて持ってもらうかは、
誰に強制されるでもなく、自分がすすんで動くべきものです。
そこを勘違いすると、誰もが誰かからの「おこぼれ」を待つようになって、
努力しなくなってしまいます。
話が複雑になりました。
整理すると、
・自分が与えただけ幸せになれる
・与えた以上の幸せがあると思うなら、人に分けていく
・そしてそれは自分の感覚に責任を持ってやる
…ということです。
だから幸せになりすぎても、
本当は恐れることはないのです。
こんにちは。
今日もありがとうございます、
皆さんは抱えきれない位の幸せを手にした時、
どのように思うでしょうか!?
おそらく大多数の人は、逃げ出したい気持ちになってしまうと思います。
不幸はその通り恐ろしいものですが、
度を越した幸せもまた、恐ろしいものなのです。
いくら人から
「あなたには幸せになる価値があります」
「幸せになってよいのです」
などと諭されたところで、
現実には「自分が思っている以上に甘いプロセス」で幸せが手に入るとなると、
上手い話はない、そんな判断をするからです。
たとえば、自分の地元の街を1時間歩くだけで1億円もらえるとしたら、
絶対に怪しいと思いますよね!?
そういうわけで、「自分で抱えきれない位の幸せ」とはなんなのか、
少しだけ考えてみたいと思います。
先に「1時間歩いたら1億円」という例を出しました。
それでは、「一生歩いたら1億円」だったら、どうでしょうか!?
少しは信憑性というか、安心して報酬を受け取れますよね。
…ということは、です。
自分の側から人に与えた分だけ、人からもたらされる幸せも受け取れるということになります。
あるいは、
「お天道様が見ているし」
「日頃の行いがよかったから」
などと言われますが、
何かの偶然でたまたま幸せになるとしても、
やはり普段からどれだけ善意でいられたかで、幸せを受け取ってしまってよいかの自分の判断が決まる気がします。
☆ ☆ ☆
さらに言えば、
自分で抱えきれない幸せを背負っていると思うなら、
すすんで人に分けていくことが、賢明な考えではないでしょうか。
幸せすぎることに違和感を感じるならば、
自分のところで一人占めしなければよいのです。
幸せに限りません。
余裕がある人はない人を、
元気な人は疲れてしまった人を、
つまり、抱えきれない位多く持っている人は、
少ない人にも持ってもらえばよいだけの話です。
自分に多く与えられたものを一人だけで抱え込むと辛いのは、当たり前の話です。
それは「幸せ」についても同じだと思います。
ただし、誰にどのくらいどう分けて持ってもらうかは、
誰に強制されるでもなく、自分がすすんで動くべきものです。
そこを勘違いすると、誰もが誰かからの「おこぼれ」を待つようになって、
努力しなくなってしまいます。
話が複雑になりました。
整理すると、
・自分が与えただけ幸せになれる
・与えた以上の幸せがあると思うなら、人に分けていく
・そしてそれは自分の感覚に責任を持ってやる
…ということです。
だから幸せになりすぎても、
本当は恐れることはないのです。