死なせてしまった牛たちはじめに断っておきますが死んだ牛だらけの動画です。趣味の悪いブログと言われても構いません。もっと酷い動画も沢山ありました。震災から1ケ月ちょっとの南相馬市の牧場です。...
一年前の記事を貼り付けてみました。
まだ自分の中に福島を変えてみせるという自信がありました。
広島・長崎に投下された原爆は一瞬にして多くの命を奪い
その後も重い後遺症で苦しむ方も多かった。
福島はどうでしょう?
福島第一原発が撒き散らした放射能が原因で犠牲になった住民は居ないのです。
広島市長のメッセージにも「原爆と原発事故は違うのです」とある。
本当の事が知りたくて昨年の5月から通い始めました。
上の動画からも分かるように福島で犠牲になったのは動物たちです。
原発から半径20km以内を警戒区域として住民を避難させ
ペットも家畜も置き去りになったのは隠しようのない事実。
そのペットを救い出し、命を繋ぐ給餌をされているボランティアさんたち。
救出されても仮設住宅では一緒に暮らせない事情からシェルターを立ちあげ
そこに給餌で使用するキャットフードを届けるようになった。
少しでも福島の真実を伝えたくてブログでも書いております。
内容について何度か注意もされているし快く思わない方もいるでしょう。
置き去り動物を救うには立入禁止の警戒区域に入らなくてはならないから
活動に支障が出る秘密事項があるらしい。
私の感覚からすれば「本当にここは日本なのか?!」と思う事もしばしば。
自宅から車で4時間も走ると放射能で汚染された地域が拡がることよりも
検問に阻まれた中に多くの犬や猫が取り残されているのに
中に入れない事の方が衝撃的でした。
自分達日本人が作ってしまったルールに縛られることは無いのです!
今年の4月~5月にかけて国による警戒区域の規制がすべて解除され
各町村による警戒再編が実施されたがその内容を知った時
折角芽生えた希望が落胆に変わってしまいました。
きめ細かく張り巡らされたバリケードがボランティアさんを苦しめて
警察による検問が委託された警備員に変わっただけで
今も自由に入る事は出来ない。
何も変えられないでいる福島と何も出来なかった自分にがっかりです。
7月14日の福島行で勇気を出して「希望の牧場」を訪ね(地図帳から調べて)
旧警戒区域だった浪江町に入り馬鹿馬鹿しくなってしまった。
テレビの取材では防護服を着用してる場所では実際、誰もそんな格好してないし
国道沿いにあるスクリーニング場(除染場)なんて利用者も少ない。
自宅が残っているのだから住民さえ戻り始めたら復興は始まると思う。
どうしたら自宅に帰ることが出来るかを探すよりも
自宅に戻れないこれだけの理由を熱弁されては支援は途切れる。
それでは前に進めないでしょう。
又、そんな環境に通い続けると気分も萎えてしまうもの。
そろそろ気持ちを福島から離れてみようと思う。
私の被災地支援の原点は南三陸町にある。
津波で町のほとんどの建物が流出し壊滅してしまったのを見て
心が激しく揺さぶられた。
避難所の引越しをして小学校を開校させるのでトラックで来れる方を募集!
その呼びかけに応じた被災者支援が目的でした。
街中では自衛隊が重機を使って瓦礫の撤去をしながら
行方不明者の捜索をしている。
あぁ駄目だ。まとめきれない文章を書いている。