観測史上最大級の地震 東日本大震災から14年が経ちました。
ここ東京でも震度5強の激しい揺れで鉄道が運休し道路は激しい渋滞で
都心部から延びる幹線道路を歩いて帰宅する人で埋め尽くされた。
妹の旦那も新橋から篠崎まで革靴をスニーカーに履き替えて4時間かけて歩いて帰宅。
池袋に居た妹は立教大学が帰宅困難者を受け入れてくれて一夜を明かしたそう。
東北の事を思うと押し黙るが都内随所で異様な光景が広がったのです。
翌3月12日の朝、コンビニでは全ての食料品が消えていました。
食品工場が被災して配送トラックは渋滞で動けずやがてガソリンも消えた。
うちの会社のも材木が倒れたりしたが大きな被害もなく
でも在庫が底をつくと製材所が被災してたり石巻合板は津波を被ってしまい
国内産の針葉樹合板が消えてしまったりと建築材料の多くが品不足の状態。
新木場では小切手帳を持って資材を買い漁る御仁も居たり。
建材問屋は燃料が確保できないからと配送トラックが動かない事態も起きた。
震災から3か月ほど都内ではあらゆるものが消えて品不足が続きましたね。
このクイーンの手をとりあって仙台のFM局にリクエストが寄せられて流していた曲。
困難に見舞われても被災者同士で「手を取り合って」乗り越えようと言う
そんなメッセージが込められていたのでしょうね。
クイーン「手をとりあって」リリック・ビデオ / Queen - Teo Torriatte (Let Us Cling Together) (Official Lyric Video)
私にとっては2011年がボランティア元年となりました。
とにかく東北を助けないと日本そのものがぶっ壊れてしまうと強い危機感を感じました。
まず初めに液状化被害の出た一番近い浦安市に自転車でスコップを担いで
泥かきに行くつもりも浦安市民以外のボランティアは募集が無く。
次に津波被害を受けた千葉県旭市に向かおうと調べるもここもダメでした。
混乱が続く被災地は外部からのボランティアを受け入れる態勢が整っていない。
太平洋側を北上すると石巻市に大勢のボランティアが集まっているそうです。
石巻専修大学のグランドにテントを張って活動してるらしい。
全国から送られた食料品が集積所で腐っていると聞き
トラックで配送ボランティアが出来ないか石巻市役所に問い合わせをしたり。
震災から1か月が過ぎた頃から各地にボランティアセンターが開設されるようになる。
石巻・南三陸町・気仙沼市が全国からボランティアを募る3大拠点です。
津波で町が壊滅した南三陸町に向かうことにした。
初めてのボランティアはトラック持ち込みで避難所の引っ越し作業です。
被災者の荷物は少なくハイエース2台分しかないので支援物資を運ぶ。
津波で全てを流された被災者は支援された衣類が全財産だったのですよ。
現地で見聞きした事はどれも衝撃的です。
心を強く持たないと精神がやられます。
土曜日の夜の東北道を走り午前中のみの作業は0泊2日の弾丸ツアー。
2度目のボランティアを終えた翌朝に仕事場で父が脳梗塞を発症し救急搬送。
その35日後に父は亡くなり一人で会社を経営するようになった。
ボランティア経験が自分を強くしてくれたと思う。
葬儀を終え納骨が済むと気持ちも落ち着き再び南三陸町に向かいます。
針葉樹合板の代替品のOSB合板1山を支援物資として届けました。
これで気持ちに一区切りが付き被災地支援は終わりました。
その後は福島に置き去りになっている猫の救出活動の情報を集めた。
翌年4月に父の相続税を払い込んだら愛車セレナにキャットフードを積み込み
福島県南相馬市にある被災猫シェルター「にゃんこはうす」に2年程通いました。
11年目の車検を前にしたセレナはレスキュー車として支援。
それ以降は父の愛車だったスイフトを足としてキャットフードを運び続けます。
その頃に出会ったKちゃんとは色々とありましたが
今では猫の餌やりボランティアのパートナーとして仲良くやってます♪