こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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嫁・姑

2011-04-07 22:30:57 | 訪問看護、緩和ケア
俗に、「嫁姑はなさぬ仲」などといわれます。

確かに、こういう仕事をしていると嫁と姑のいざこざはよくあることで、私だって例外ではありません。

嫁ぐという言葉から連想するのは、好きな人と結婚するというよりは、相手の家の人間になる。という意味合いのほうが強いように感じます。
特に、家に嫁いだ嫁は、昔はその家の主人、親、しいては自分が産んだ子供にかしずくもののように扱われていましたよね。

今でも旧家などではその片鱗を垣間見ることがあります。

逆に、夫(または妻)の親を全くみない嫁(婿)もいます。

近所に居ても顔も出さない。声もかけない。電話もしない。
具合が悪いからと呼ぶと、とても迷惑そうな顔をして、少し離れたところから「入院でしょ?」なんて言葉が・・。

そんな家族を見て、胸が痛くなることもあります。


でも、本当によく介護をされているご家族を見るとすごくうれしくて、なんとか少しでも楽にしてあげたいと心から思ってしまいます。


昨日の夜、一人の女性が旅立ちました。

ご家族に看取られて、静かに穏やかに、とてもよいお顔だったそうです。

なかでも、退院してから今まで一生懸命介護をされたお嫁さんは、泣いて泣いて・・。
お義母さんが大好きだったんですね。

お義母さんも、とても素敵な人でした。

いつも笑顔で、労いや感謝の言葉をかけてくれました。
我慢強くて、気使いがあって、おおらかで、かわいい人でした。

そんなお姑さんだから、きっとお嫁さんも可愛がってもらったのでしょうね。
ずっとそばについて、結構言いたいことは言い合っていましたが、お義母さんが一番信頼しているのがよくわかりました。
以前「今、一番したいことはなんですか?」と聞いたら「あの子(お嫁さん)に、お礼がしたいの。あの子を旅行に連れて行ってあげたい。どうしたら、あの子に恩返しが出来るかしら?」って言っていました。
お嫁さんは「お義母さんに何もしてあげられない」ことに苦しんでいましたが、なんのなんの。

お互いがよく思いあって、いつも温かい空気が満ちていました。

一時不穏になって一晩中氷を欲しがって、お嫁さんを寝かさなかったことがありましたが、「辛くて」と涙ぐみながらも、頑張って乗り越えました。

彼女が頑張っていると、土日はご主人が変わって横に寝てくれるようになり、鎮静剤を少し使いながら、お義母さんも眠るようになりました。

最後の数日は、お嫁さんのこともわからなくなりましたが、それでも本当によく介護をされました。

ポートのルートや針交換は、全部病院で指導されてきたものの、彼女にとって強いストレスである事がわかり、全部看護師が行いました。

出来る、出来ないないにかかわらず、いつ・だれが・どこまでやるかを一緒に考えて、訪問で担えるところは担っていくことも、介護を続けられる要素だと思います。

病院では、「全部の手技をお嫁さんに指導しましたから、訪問看護はいりません。」と言い放ちましたが、手技を覚えられるのと、介護全部を担うのとは、全く別物であることがわからなかったのでしょうね。

私たちは、お義母さんに「かみさま」と冗談交じりに呼ばれていたこのお嫁さんに、表彰状を渡したいぐらいでした。

スタッフともよく話すのですが・・・。

その人がどう生きたかで、最後も決まるんじゃないかと。

どうせ人はみな、いつかは死んでしまいます。

でも、一生懸命生きたおばあちゃんや、一生懸命介護をしたお母さんを見ていた子供は、その背中から一生懸命の素晴らしさを学ぶし、きっと自然とそうすることが出来る人になるとおもうのです。

おかあさんが、おばあちゃんの悪口ばかり言って、ほったらかしたり、暴言を吐いたり、叩いたりしたら、それを見ている子供は、きっと同じことを繰り返します。
小さな子供の言葉は、ほとんどの場合は親が日常的に使っている言葉なのですから。

この仕事していて、本当にいろんなことを学ばせてもらったなと思います。

どう生きるか。
どう死ぬか。

そして、これからの世代に何かを残せるのか。

漠然とした思いから、少しずつ形となっていきます。
たくさんの方の人生の終わりを見届けながら、私自身残りの人生をどう生きるかの道しるべとなっています。




って・・!!
また地震です。
結構強いです。

宮城県が震源地で震度6だそうです。
もういいかげんにしてほしいです。

まだまだ安心できません。
皆様ご注意くださいね。