今日は、連携先である『めぐみ在宅クリニック・追想の集い』がありました。
今までは年一回でしたが、年々めぐみ在宅で亡くなられる方が増え、去年は午前・午後で行いましたが、今年は、半年ごとで行うことになりました。
うちのステーションからは、私とSナース、ほかに3つのステーションとケアマネが二人、そして訪問薬剤担当のH君も参加しています。
今回は、昨年7月から半年の間に亡くなられた患者さんのご家族をお呼びし、その中で私たちが関わらせていただいた患者さんのご家族は6家族でした。
ただ悲しみのなかで、こういう会自体がまだまだ辛くて、参加されない方や、ご都合ののつかない方も多く、グリーフケアとしてはお会いできない方々に対するケアも今後の課題のように思えます。
実は、今日参加されると聞いていて、とてもお会いできるのを楽しみにしていた患者さんのご家族がいらっしゃいました。
たくさんのご家族をお迎えしながら、長い間お母様を献身的に介護されていたMさんの姿を探していましたが、なかなか来られないなぁと思っていました。
Sナースがめぐみのスタッフに確認したところ、「奥様が突然急死され、来れなくなったと連絡がありました。」とのこと。
ショックでした。
お母さんを献身的に介護していたのは息子さんですが、その息子さんの妻として、いい距離感を保ちながら後方支援に回っていた奥さんです。
いつも担当の看護師がケアを終わって1階に降りてくると、嬉しそうに待ち構えていて、覚えたての手品を見せてくれたそうです。
ご主人に「看護師さんは忙しいんだから迷惑だよ。いい加減にしなさい。」と叱られても、「ちょっとだけ」と言って、種明かしをしてその手品を教えてくれたそうです。
担当の看護師も、忙しいとはいえそれで結構癒されてたようで、笑いながらよく手品の話をしてくれました。
あの奥さんが突然亡くなられたとは・・
今日はお二人に会えると信じて疑いませんでしたから・・。
長い介護生活が終わり、これからやっと二人で楽しんでほしいと思っていました。
あの生真面目で、心穏やかな息子さんが一人残されてしまったなんて、本当に残念でなりません。
担当だったスタッフにさっき電話で伝えたところ、やはりとてもショックを受けていました。
「落ち着いた頃、電話してみます。一人になっちゃったんですねぇ・・。」と寂しそうにつぶやいていました。
それでも、ほかのご家族とは久しぶりに対面できて、本当に嬉しかったです。
「支えたい思い」「納得のいくまで」でも書いたOさんの奥さん。
あちらの方から、とても賑やかなオーラを発しつつ、私たちを見つけると満面の笑顔で手を振ってやってきました。
「一人だから、地震が怖くて~。」
「だからね、あの時みたいに、またテーブルの下で布団を敷いて寝ているのよ。」とのこと。
「私ね、主人が亡くなってから、もうどうでもいいや、死んじゃってもいいやって思ったりしたのよ。でも、あの地震の時真っ先にテーブルの下に入っちゃたの。あはは、それでね、死にたくないんだってわかったの。生きたいのよね!」
「今はね、まだ主人のこと思いださないようにしているの。主人のものを見ても、なるべく考えないようにしているの。考えると、まだ駄目だから。でも、ちゃんと働いてるのよ。大丈夫!」
そうして、ずっと笑顔でお話をしてくれました。
奥様を亡くされたHさんのご主人は、やはり笑顔で「大丈夫だよ。ご飯も作るし掃除もするよ。猫の面倒もちゃんと見ているよ。息子も時々顔見せるし。」と言ってくれました。
私をはさんで、OさんとHさん、しばし歓談していました。
そして、ご主人を亡くされたAさんと、その娘さんも・・。
奥さんは、腰が悪く歩くのもやっとです。
それでも、頑張ってきてくれました。
ただ、最初から最後まで、涙がポロポロ止まりません。
何を言っても泣いてしまいいます。
娘さんも「もう、優しい言葉をかけてくれるとだめなのよ。あ、大嶽さんまた泣かした~。」などと言いながら、やはり泣いています。
まだまだ深い悲しみの中にいるようでした。
それでも孫と暮らしていること、孫が帰ってくると淋しさが忘れられることなどをお話ししてくれました。
頑固で絶対的存在だったお父さんは、今でもこのご家族の心の中では絶対なのだと思います。
帰りは笑顔も出て、ゆっくりと帰っていきました。
懐かしい顔をみて、懐かしい話をして、「あんなこともあったね。こんなこともあったね。」そんな話をしながら、時間は過ぎていきます。
ハンカチで目頭を押さえながら、隣り合ったご家族とお話しするかたや、先生に抱き着かんばかりにお話しするご家族、一人瞑想をするように過ごされるご家族。
この短い時間のなかで、すこしでも悲しみが癒え、同じ苦しみを抱えた人たちが、気持ちを通わせることが出来ればいいなと、心から願わずにはいられませんでした。
お二人のご家族のご挨拶があり、そのあと飛び入りでお話をしてくださった方がいます。
訪問看護ステーションは入るに至らず、退院を目前に奥様を亡くされた方です。
病状の進んだある日、奥様が「きれいな空と海が見たい。」と言ったため、車椅子で沖縄に連れて行ったのだそうです。
奥様はとても喜んで帰りの空港で「またここに来たい。」と言い「うん、また来ようね。」とご主人は答えたそうです。
お二人には、それがかなわいことはわかっていましたが、そう約束したのだそうです。
その奥様が、退院をまたずに亡くなられ、ご主人はどれほどの深い悲しみのなかにあったのか・・。
奥様との約束を果たすように、西表島の海に散骨をされ、その時に詠んだ短歌を披露してくれました。
全部は覚えていませんが「妻の骨・・」から始まるその歌は、その時の悲しみの深さを物語っていました。
真っ白な妻の骨が、青い青い海の底にゆっくりと吸い込まれていく情景が、映像として見えた気がしました。
そのゆらゆらと沈んでいく、最愛の妻の骨を見つめるご主人の目線で、私もそれを見たような錯覚に襲われました。
もうだめです。涙腺は決壊しました。
静かに、とつとつと語るその方の語り口に完敗でした。
その後、その方にご挨拶に行きました。
ウルウルしてしまって言葉にならない私に、奥様の写真も見せてくださいました。
「いつもね、あの短歌と妻の写真は持っているんですよ。いつも妻と一緒なんです。今日も一緒にここにいるんですよ。」背広の肩をポンポンと叩いて、穏やかに微笑んでいました。
「実はね、さっき言わなかったんですが、後日談があってね・・」
「妻はね、真紅のバラの花が大好きだったんですよ。だから棺の中、真紅のバラで囲んであげたんですよ。そうしたらね、焼いて出てきた骨の一部がね、ピンク色に染まっていたんですよ。
真っ白な骨の中に、ピンクの骨がいくつかあってね、僕はこれは砕けなかった・・。
だから、散骨するのとは別に、ピンクの骨を別に分けて、僕が持っているんです。」
もう、70歳位はとうに過ぎていられるのでしょうが、かくしゃくとしてダンディなその方は、実はご自分も癌宣告をされており、めぐみ在宅にも通院されているそうでした。
「まためぐみ在宅に行けばお会いできるのかな?」そう言っていただきましたが、めぐみの職員ではないことをお伝えしました。
でも、きっとこの出会いはどこかでつながるのだと思います。
人はみんなどこかでつながっていますから。
追想の集いは、グリーフケアでありながら、実は関わる私たちにとっての心のケアでもあると思います。
この仕事をしていて、本当によかったと心から思える場所でもあるのですから。
今までは年一回でしたが、年々めぐみ在宅で亡くなられる方が増え、去年は午前・午後で行いましたが、今年は、半年ごとで行うことになりました。
うちのステーションからは、私とSナース、ほかに3つのステーションとケアマネが二人、そして訪問薬剤担当のH君も参加しています。
今回は、昨年7月から半年の間に亡くなられた患者さんのご家族をお呼びし、その中で私たちが関わらせていただいた患者さんのご家族は6家族でした。
ただ悲しみのなかで、こういう会自体がまだまだ辛くて、参加されない方や、ご都合ののつかない方も多く、グリーフケアとしてはお会いできない方々に対するケアも今後の課題のように思えます。
実は、今日参加されると聞いていて、とてもお会いできるのを楽しみにしていた患者さんのご家族がいらっしゃいました。
たくさんのご家族をお迎えしながら、長い間お母様を献身的に介護されていたMさんの姿を探していましたが、なかなか来られないなぁと思っていました。
Sナースがめぐみのスタッフに確認したところ、「奥様が突然急死され、来れなくなったと連絡がありました。」とのこと。
ショックでした。
お母さんを献身的に介護していたのは息子さんですが、その息子さんの妻として、いい距離感を保ちながら後方支援に回っていた奥さんです。
いつも担当の看護師がケアを終わって1階に降りてくると、嬉しそうに待ち構えていて、覚えたての手品を見せてくれたそうです。
ご主人に「看護師さんは忙しいんだから迷惑だよ。いい加減にしなさい。」と叱られても、「ちょっとだけ」と言って、種明かしをしてその手品を教えてくれたそうです。
担当の看護師も、忙しいとはいえそれで結構癒されてたようで、笑いながらよく手品の話をしてくれました。
あの奥さんが突然亡くなられたとは・・
今日はお二人に会えると信じて疑いませんでしたから・・。
長い介護生活が終わり、これからやっと二人で楽しんでほしいと思っていました。
あの生真面目で、心穏やかな息子さんが一人残されてしまったなんて、本当に残念でなりません。
担当だったスタッフにさっき電話で伝えたところ、やはりとてもショックを受けていました。
「落ち着いた頃、電話してみます。一人になっちゃったんですねぇ・・。」と寂しそうにつぶやいていました。
それでも、ほかのご家族とは久しぶりに対面できて、本当に嬉しかったです。
「支えたい思い」「納得のいくまで」でも書いたOさんの奥さん。
あちらの方から、とても賑やかなオーラを発しつつ、私たちを見つけると満面の笑顔で手を振ってやってきました。
「一人だから、地震が怖くて~。」
「だからね、あの時みたいに、またテーブルの下で布団を敷いて寝ているのよ。」とのこと。
「私ね、主人が亡くなってから、もうどうでもいいや、死んじゃってもいいやって思ったりしたのよ。でも、あの地震の時真っ先にテーブルの下に入っちゃたの。あはは、それでね、死にたくないんだってわかったの。生きたいのよね!」
「今はね、まだ主人のこと思いださないようにしているの。主人のものを見ても、なるべく考えないようにしているの。考えると、まだ駄目だから。でも、ちゃんと働いてるのよ。大丈夫!」
そうして、ずっと笑顔でお話をしてくれました。
奥様を亡くされたHさんのご主人は、やはり笑顔で「大丈夫だよ。ご飯も作るし掃除もするよ。猫の面倒もちゃんと見ているよ。息子も時々顔見せるし。」と言ってくれました。
私をはさんで、OさんとHさん、しばし歓談していました。
そして、ご主人を亡くされたAさんと、その娘さんも・・。
奥さんは、腰が悪く歩くのもやっとです。
それでも、頑張ってきてくれました。
ただ、最初から最後まで、涙がポロポロ止まりません。
何を言っても泣いてしまいいます。
娘さんも「もう、優しい言葉をかけてくれるとだめなのよ。あ、大嶽さんまた泣かした~。」などと言いながら、やはり泣いています。
まだまだ深い悲しみの中にいるようでした。
それでも孫と暮らしていること、孫が帰ってくると淋しさが忘れられることなどをお話ししてくれました。
頑固で絶対的存在だったお父さんは、今でもこのご家族の心の中では絶対なのだと思います。
帰りは笑顔も出て、ゆっくりと帰っていきました。
懐かしい顔をみて、懐かしい話をして、「あんなこともあったね。こんなこともあったね。」そんな話をしながら、時間は過ぎていきます。
ハンカチで目頭を押さえながら、隣り合ったご家族とお話しするかたや、先生に抱き着かんばかりにお話しするご家族、一人瞑想をするように過ごされるご家族。
この短い時間のなかで、すこしでも悲しみが癒え、同じ苦しみを抱えた人たちが、気持ちを通わせることが出来ればいいなと、心から願わずにはいられませんでした。
お二人のご家族のご挨拶があり、そのあと飛び入りでお話をしてくださった方がいます。
訪問看護ステーションは入るに至らず、退院を目前に奥様を亡くされた方です。
病状の進んだある日、奥様が「きれいな空と海が見たい。」と言ったため、車椅子で沖縄に連れて行ったのだそうです。
奥様はとても喜んで帰りの空港で「またここに来たい。」と言い「うん、また来ようね。」とご主人は答えたそうです。
お二人には、それがかなわいことはわかっていましたが、そう約束したのだそうです。
その奥様が、退院をまたずに亡くなられ、ご主人はどれほどの深い悲しみのなかにあったのか・・。
奥様との約束を果たすように、西表島の海に散骨をされ、その時に詠んだ短歌を披露してくれました。
全部は覚えていませんが「妻の骨・・」から始まるその歌は、その時の悲しみの深さを物語っていました。
真っ白な妻の骨が、青い青い海の底にゆっくりと吸い込まれていく情景が、映像として見えた気がしました。
そのゆらゆらと沈んでいく、最愛の妻の骨を見つめるご主人の目線で、私もそれを見たような錯覚に襲われました。
もうだめです。涙腺は決壊しました。
静かに、とつとつと語るその方の語り口に完敗でした。
その後、その方にご挨拶に行きました。
ウルウルしてしまって言葉にならない私に、奥様の写真も見せてくださいました。
「いつもね、あの短歌と妻の写真は持っているんですよ。いつも妻と一緒なんです。今日も一緒にここにいるんですよ。」背広の肩をポンポンと叩いて、穏やかに微笑んでいました。
「実はね、さっき言わなかったんですが、後日談があってね・・」
「妻はね、真紅のバラの花が大好きだったんですよ。だから棺の中、真紅のバラで囲んであげたんですよ。そうしたらね、焼いて出てきた骨の一部がね、ピンク色に染まっていたんですよ。
真っ白な骨の中に、ピンクの骨がいくつかあってね、僕はこれは砕けなかった・・。
だから、散骨するのとは別に、ピンクの骨を別に分けて、僕が持っているんです。」
もう、70歳位はとうに過ぎていられるのでしょうが、かくしゃくとしてダンディなその方は、実はご自分も癌宣告をされており、めぐみ在宅にも通院されているそうでした。
「まためぐみ在宅に行けばお会いできるのかな?」そう言っていただきましたが、めぐみの職員ではないことをお伝えしました。
でも、きっとこの出会いはどこかでつながるのだと思います。
人はみんなどこかでつながっていますから。
追想の集いは、グリーフケアでありながら、実は関わる私たちにとっての心のケアでもあると思います。
この仕事をしていて、本当によかったと心から思える場所でもあるのですから。