おでかけたいむす

名所・旧跡・B級スポット、釣行記までおでかけ情報を現地取材した情報を写真入りで紹介。

不忍池の石碑 (東京都台東区) 料理編

2010-04-15 21:32:06 | 記念碑・歌碑
◎東京都◎
包丁塚

上野公園の南にある不忍池。池の中央には弁財天を祀った弁天島がありますが、弁天島の回りには変わった石碑がたくさん並んでいます。今回は石碑のうちで料理に関するものを見てみましょう。

鳥塚

鳥肉と鶏卵の組合が建立した鳥塚

スッポン感謝の塔

スッポン感謝の塔

ふぐ供養碑

ふぐ供養碑。この碑の揮毫は岸信介元総理が書いたもの。

魚塚

東京魚商業協同組合が建立した魚塚

料理関係以外にも面白い石碑がたくさんあります。



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鶴芝の碑 (静岡県富士市) 富士山の鶴?

2010-03-23 22:46:27 | 記念碑・歌碑
◎静岡県◎
本市場

富士市の本市場は江戸時代には東海道五十三次・吉原宿と蒲原宿の間にある休憩用の町(間の宿)として賑わった町です。

鶴芝の碑
そして、この町で一番の名物となったのは「鶴の茶屋」から見た富士山。ここから富士山を眺めると中腹に一羽の鶴が飛んでいるように見えるとか。この碑は文政3年に建てられ、京都の画家・蘆洲(ろしゅう)の描いた鶴と江戸の学者・亀田鵬斉(かめだほうさい)の詩文が刻まれている。

残念ながら現在はこの位置からでは建物が邪魔で富士山を見ることが出来ません。



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沼津市桃里の由来 (静岡県沼津市) 桃里の鈴木さん

2010-03-05 20:28:35 | 記念碑・歌碑
◎静岡県◎
桃里の記念碑<br>

沼津市の西端にある「桃里」地区は昔は浮島沼の一部でしたが、鈴木さんという人が開墾して村ができました。鈴木さんは遠州出身で安倍郡下足洗新田(現・静岡市葵区下足洗新田)を開拓した後、元和元年に2代目がこの地に移り住み浮島沼を開墾しました。

碑文の一部

開墾をした土地は鈴木さんの名をとって助兵衛新田と名前が付けられました。しかし時代が移ると「すけべえ」という名前は卑猥である、こんな名前は嫌だということになり、明治41年に桃の生産が盛んだったので「桃里」と改名されました。桃里の記念碑は旧東海道沿いにある浅間愛鷹神社に建てられています。



鈴木和太郎氏

その記念碑よりもう少し西へ行った所に鈴木和太郎氏の像が建てられていました。助兵衛さんと関係は不明ですが、野菜・果樹の栽培に熱心で、後に鈴和観光という会社を興したそうです。台座に「日本経済新聞」が彫られているのは「日本経済新聞」を愛読して経済を学んだためだそうです。

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王城山 (神奈川県大磯町) 明治天皇の漁見物

2010-02-24 21:22:05 | 記念碑・歌碑
◎神奈川県◎
明治天皇観漁の碑

神奈川県大磯にある王城山の山頂には明治天皇観漁の記念碑があります。明治元年(1868年)に明治天皇が京都から江戸城へ入りに向かいます。その途中、大磯の浜辺で漁を見物したそうです。

王城山より

王城山は城跡らしいのですが、記念碑と配水場があるだけで、城跡と判別できる遺構は残っていないように見えました。山の麓には旧安田邸(現在安田不動産大磯寮)があります。




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初日の出&初富士 (静岡県三島市)

2010-01-01 20:37:02 | 記念碑・歌碑
初日の出

明けましておめでとうございます。
つたないブログですが、今年も宜しくお付き合いください。

三島市山中新田の創大セミナーハウス付近から見た初日の出です。箱根の山には雲が掛かっていましたが大陽が昇る方角は雲が切れていたので、初日の出を見ることができました。

芭蕉の句

こちらは、少し下にある芭蕉の句碑と富士山。句碑には松尾芭蕉が「野ざらし紀行」の旅で詠んだ句「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」が記されています。

芭蕉が旅をしたときには富士山が見えなかったようですが(あるいは見たくなかったのかも)、元旦から日の出と富士山を見ると気分がよくなりますね。

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