先日、日高市巾着田(彼岸花の群生地)と川越へ行って来た。小江戸と言われる川越は、以前七福神巡りで行ったことがあるが,今回は自由行動なので、前回廻れなかった川越城本丸御殿を見学、三芳野神社・氷川神社を参詣した。
ツアーの資料によれば、巾着田は高麗川の蛇行により、巾着袋に良く似た地形が出来て「巾着田」呼ばれることになった。直径500m、面積約22ha高麗川に囲まれた平地には彼岸花の他、コスモスも咲き乱れているという。
巾着田は観光バス40~50 台が駐車しており、自家用車も多数、おおおぜいの観光客で賑わっていた。彼岸花(曼珠沙華)は早咲きの区域で六~七分咲き遅咲き、遅咲きの区域で四~五分咲き程度か例年より遅れているそうだ。およそ5.5haの群生地に咲く綺麗な彼岸花を見る事が出来た。満開になれば彼岸花の群生地は一面が真紅に染まり、赤い絨毯を敷き詰めたようになるのだろう。
アマチュア 写真家と思われる方々が熱心に撮影していた。
此処の彼岸花は高麗川の氾濫により上流から種子や根株が流れれ自然に発芽、群生したのだそうだ
彼岸花群生地の横、約2haの畑にコスモスが群生していた。多分観光用に育成したものだろうと思われる。ほぼ5分だった。
広いコスモスの群生地 開花していたコスモス
コスモス群生地の端に、最近植生したと思われる初めて見る「アマグリナム」とい花が80~100坪程植わっていた。ヒガンバナ科の球根植物でホンアマリリスとクリナムの交配種だそうだ。
ホンアマリリスの交配種なのでアマリリスに良く似ていいる。
ヒガンバナ科であることから, 観光用に植えたのだろう。
立ち入り禁止となっており近づけずクローズアップ撮影出来な
かった。
子江戸川越は観光客が多い。お菓子横町と蔵通りは老若男女で賑わっていた。今回は川越城本丸御殿をメインに散策した。
案内のパンフレットによれば川越城は1457年大田道真・道灌 父子等により築城、1639年拡張整備、本丸・二の丸・三の丸・追手曲輪・新曲輪・3つの櫓・13の門からなる、9万9千坪余りの巨大な城郭であった。明治になり多くの建物は移築・解体され、本丸御殿は廃藩置県による入間県の県庁の庁舎として利用された。大正7年煙草工場、昭和8年武道場「初雁武徳殿」、戦後市立中学校の仮庁舎として使われ、その後再び武道場となった。昭和42年間取りの復元など大規模な修理工事を行い現在に至っている。
川 越 城 郭 図 川越城本丸(城主の住まい・城主の政務場所・家臣たちの常駐場所)
本丸御殿の横には三芳野神社があって童謡「とうりゃんせ」発祥の地だそうだ。参詣後本丸御殿のバス乗り場に、丁度市内名勝を
廻る乗合バスがあったので乗ってみた。驚いた事に運転手が要所要所で観光案内をしてくれ、観光バス並であった。童謡「とうりゃんせ」発祥地の説明では歌まで歌って、歌詞の一節「天神様の細道だ」の天神様は三芳神社で、そこへ行く細道の事であるなど、歌詞の言われを語ってくれた。又氷川神社の説明では興味をひかれたので、氷川神社停留所で下車し参詣した。
三 芳 野 神 社 氷 川 神 社
氷川神社の大鳥居 大鳥居の説明高札
氷川神社境内にあった柿本人麻呂神社。 小さな神社で何故ここに祭られているか不明。
wikipedia百科事典では柿本神社は各地にあるが、県社など大きいのは島根県益田市高津町の柿本神社と、兵庫県明石市人丸町の柿本神社である。
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