中国の麵の歴史-10~17世紀の中国の食(7)
現代の日本では、小麦粉や米粉、そば粉など穀物の粉を細長くした食べ物のほとんどを「麺」と呼んでいます。一方、中国では「麺」は小麦粉で作られたものを指し、それ以外のものは「粉」と呼んで区別しています。
実は、もともと中国では麺は小麦粉そのもののことを意味していて、小麦粉で作った食べ物のことは「餅」と呼んでいました。それが宋代になると、小麦粉で作った細長い食べ物を麺と呼ぶようになったそうです。このように呼び方が変化した理由は、その頃に麺が大きく進化したからです。
今回はこのような麺の歴史について見て行きます。なお、これ以降の「麺」とは日本人が一般的に使う麺(ヌードル)のことを指します。
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中国で小麦粉が大量に作られるようになったのは唐代(618~907年)になる少し前からだ。小麦粉を作るためにはコムギの粒を細かくすりつぶす必要があるが、そのための碾磑(てんがい)という水車で動く巨大な臼がその頃に普及し始めたからである。
なお、コムギが主に栽培されたのは寒冷地の華北地帯であり、温暖な江南では主にコメが栽培されていたため小麦粉はあまり出回らなかった。
西アジアやヨーロッパでは小麦粉からは主にパンが作られたが、何故か中国ではパンはあまり焼かれず、小麦粉の生地はゆでたり蒸したりして調理された。このゆでたり蒸したりしたものは「湯餅」と呼ばれ、ここから麺・餃子・ワンタンなどが生まれたと考えられている。
湯餅の中で麺類の直接の先祖と考えられているのが「水引餅(すいいんべい)」である。540年頃に書かれた農業書の『斉民要術』によると、水引餅は豚肉のスープでこねた小麦粉を箸の太さに延ばしたのち水の中でさらに平たく延ばし、湯で煮て作るとある。表面はふわふわとしているがしっかりとコシが感じられる歯ごたえがあるらしい。
麺のコシを生み出すためには網目構造であるグルテンを形成させる必要がある。グルテンは小麦粉に塩を入れてこねることでできて来るのだが、水引餅では豚肉のスープに含まれている塩によってグルテンが作られることでコシが生まれるのだろう。
唐代になると、湯餅は2つの系統に分かれて発展する。一つは小麦粉を薄く延ばして具材を包み込む水餃子やシュウマイの系統で、もう一つは生地を細長くした麺類の系統である。
「切り麺」が登場したのも唐代である。こねた小麦粉の生地を麺棒でうすく延ばしたのち折りたたみ、刃物で線状に切ってつくる方法が生み出されたのだ。この技法は「不托(ふたく)」と呼ばれ、小麦粉だけでなくそば粉など他の生地にも使用されるようになり、アジアの各地に伝えられた。日本にも鎌倉時代に伝わったと考えられている。
現代の中華麺の特徴となっている「かん水」が使用され始めたのは唐代の終わり頃から宋代(960~1279年)にかけてである。かん水とは炭酸ナトリウムなどを含んだアルカリ性の溶液で、アルカリ性になることでグルテンの形成がよく進んで強いコシが生まれるとともに、小麦粉中に含まれる色素であるフラボノイドが淡黄色に変化するのだ。このため中華麺は縮れていて黄色をしている。
中国の東北部から西北部にかけて分布する塩水湖(鹹湖(かんこ))の水はアルカリ性で、これを使うとコシの強い麺ができることを偶然見つけたのである。ちなみに現代では工業的に作られたかん水を使用している。
宋代になると湯餅という言葉は使われなくなり、小麦粉で作った細長い食べ物を麺(麺条)と呼ぶようになった。麺類が多くの人に食べられるようになったからである。
宋代の各都市には飲食店や屋台がたくさん営業していたが、麺類は素早く食べられて腹持ちも良かったので人気を博し、多くの店で売られようになったのだ。また具材も豊富になり、それまでの単にスープの中に麺を入れただけのものに加えて、魚介類や肉類などの具が入ったものも食べられるようになった。
このように麺類がよく食べられるようになると、それまで食具として主に使用されていた「匙(さじ)」に代わって「箸」が多く使用されるようになった。箸の方が麺をつかみやすいからである。
女真族の金によって華北を征服され、首都を江南の杭州に遷都した南宋(1127~1279年)の時代になると麺の文化はいっそう発達した。それまで江南ではあまり知られていなかった穀物から粉を作る技術が伝わることで、江南の食材の新しい調理法が生まれたからである。
江南では主にコメが栽培されていたが、これを粉にすることでビーフンが作られた。また、緑豆の粉を使用した春雨も誕生した。これらは穴をあけたウシの角から生地を熱湯の中に押し出すことで作られる。
また、小麦粉の生地に油を塗ることでそうめんのように細く引き延ばす技術も開発された。さらに、ナガイモなどをつなぎにしたものや、エビの粉や卵を混ぜてエビ風味にした麺も考案された。
このように麺文化は宋代で大きく花開いたのである。